三ヵ月の孤独に立ち向かえのは葉隠魂のおかげだった[187/1000]
真っ白なまだ誰にも踏まれていないこの雪のようにただ透明でいたい。一杯の白湯の温もりに心が還っていく。世界に光が照らされる前の、薄暗い諏訪湖の畔をしばらく歩いた後、かじかんだ手を白湯を注いだ陶器で温める。こんな日々もいよい…
真っ白なまだ誰にも踏まれていないこの雪のようにただ透明でいたい。一杯の白湯の温もりに心が還っていく。世界に光が照らされる前の、薄暗い諏訪湖の畔をしばらく歩いた後、かじかんだ手を白湯を注いだ陶器で温める。こんな日々もいよい…
不確定に訪れる死は消極的なもの。消極的な不確定な死に積極性を帯びさせるには、やはり今日死んでもいいように今日を生きるしかないのだと思う。あらかじめ自分を死なせて法を身として生きることは、いわずもがな積極性を帯びる助けにな…
自分を死なせるという言葉を多く使いすぎると、死の緊張感は薄れてくる。こういう重たい言葉ほど、時と場所を見極めて慎重に使わないと言葉の本当の質量を見失いやすい。一方で、毎日死に光を当てることが習慣となるのはいいことに思う。…
自分を死なせるとは、自分が宇宙の中心にいるという認識を捨てること。宇宙の中心にあるのは恋の対象で、恋の対象を中心に自分は存在しているに過ぎないと認識すること。言い換えれば、自分を神の座から引きずりおろし、恋焦がれる対象の…
もし大切な人が、あなたを生かす代わりに、自分の死を選んだら、あなたはどう感じるだろう。どちらかの命しか生かすことができない2者択一を迫られる瞬間を昔から繰り返し想像してきた。そして大切な人を生かすために、自分は死ねるだろ…
身体が凍えても、目の前の相手が寒そうにしていれば上着をかけてやる。米がわずかしか残っていなくても、飢えている人間がいたらこれを食えと差し出してやる。命を顧みず飛び出して行く。そんな自己犠牲的な愛に純粋さを感じるから、我々…
自分を死なせるとか、物騒なこと書いていることは自覚していて、それでも懲りずに読んでくれる人が一定数いると思うと申し訳なくなってくるなぁ。この3か月は、武士道の強面といわれる山本常朝の「葉隠」に感銘を受けて、「武士道とは死…
陽が昇る前の朝は自分の呼吸に気づき、陽が世界を照らす日中は世界の呼吸を感じて、陽が沈めば再び自分の呼吸に帰ってくる。そうして常に呼吸と共にあるのが理想だろう。 「天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するよう…
黒澤明の「羅生門」の終盤で、ある男が放った言葉がずっと頭に残っている。「どいつもこいつも手前(てめえ)のことばかりだ。」そう言い放つ男は、羅生門に捨てられた赤ん坊を見つけると、赤ん坊をくるんだ着物を取ってしまい、持ち帰っ…
人の呼吸を感じるとき、その人間の命を感じる。 幸せも不幸も、喜びも悲しみも、満腹も飢えも、いつから誰かのものだと思い込んでいたのか。自分が消えるとき肉体が隔てる境界はなくなり、個の所有の概念はすべてなくなる。幸せも不幸も…