神のための労働[379/1000]

20メートル級の木が倒れるときは感無量というほかないのである。メリメリメリと幹が張り裂ける音が聞えると、ゴゴゴゴゴと鈍く重たい音をたてながらゆっくり傾いていき、最後はドドーンと凄まじい音とともに地面に叩きつけられる。直撃すればタダでは済まないので、一挙手一投足に緊張が走る。倒したい方向にノコギリで受け口を入れていく。反対側から追い口を入れていくと、ノコギリが木の重さで抜けなくなるので、斧の背でクサビを打ち込み、ノコギリを援護する。十分に切り込みが入ったところで、最後はロープで倒したい方向に牽引する。舟でオールを漕ぐように、牽引具のレバーを前後に動かしていくと緊張が高まり、最後にはドドーンと地面に倒れ、すべての緊張から解放されるのである。

 

自然は人間を超越するものである。人間を超越するから、あっけなく人間の命を奪うことがある。しかし、孤独な心に語りかけ、生きる勇気を与えてくれもする。私は自然に神を感じるのである。人間の命を奪うのは神の怒りであり、人間を癒すときは神の赦しである。私が森で死ぬことがあれば、傲慢さになんらかの罰が下ったものと考え、癒されるのであれば、為すべきことを為せていると思うのである。

 

森の家づくり三日目は、以上のように20メートル級の木を倒した。ただ、上で書いたとおりスムーズに行ったわけではなく、”かかり木”といって木が倒れるときに別の木にひっかかってしまう現象が起きた。かかり木は、放置しておくと不意に倒れる可能性があり危ないので、ロープと牽引によってなんとか地面に倒してしまわねばならない。これに数時間かかり、1本目の木が倒れた頃には午前が終わっていた。

全身、汗と泥だらけである。くたびれながら、重曹とクエン酸を混ぜてつくった炭酸水で元気を取り戻し、すぐ2本目に取り掛かる。2本目もまた”かかり木”が起きてしまい、これを地面に落とすのに1時間弱かかった。木があまりにも密集するなかで、20、30メートルの木を倒すのだから、どうしても起こってしまう。地面に木を倒したあとは、木材として使うために、3メートルごとに伐っていく。丸太を運ぶのもかなり大変で、人々が重機やチェーンソーを好む理由がよくわかったのである。

 

私は非効率な人間である。くたびれたが、生命がぶつかる感覚というものに、魂が歓ぶのが分かった。15時になるころには、すべての体力を使い果たし、近くの川で水浴びをして、そのまま洗濯と、ご飯にした。少しずつであるが、森が整備されてきた。今日で、3メートルの丸太が8本手に入った。腐りかけているものもあるが、これらは家の柱につかえるかもしれない。社会のためになるような労働ではないが、神のための労働になると信じるのである。

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