なぜ神は人間を生かすのか。[380/1000]

「腐海の木々は、人間が汚したこの世界をきれいにするために生まれてきたの。大地の毒をからだに取り込んできれいな結晶にしてから、死んで砂になっていくんだわ。この地下の空洞はそうしてできたの。虫たちはその森を守っている。」

風の谷のナウシカ

 

ホタルやヒグラシのように、人間に癒しを与える虫もいれば、蚊やハエのように人間に嫌われる虫もいる。同じように、タンポポのような花は好かれても、道をさえぎる雑草は嫌われる。すべては人間の好悪にすぎず、彼らは平等に存在しているにすぎない。

聖人君子になるつもりはないが、なぜ神がそれらを存在させるのか考えたいと思うのである。ナウシカの腐海の木々が、地球を綺麗するために生まれてきたように、神が存在させるものには、存在すべき理由がある。毒キノコも、土壌の毒を吸い取っているように思えるのである。すべての動植物は、どこか一点をめざしている。

 

雑草は、大地に必要だから生えている。土の湿度を保ち、土壌の菌を養い、枯れて根が腐ると土は肥えていく。雑草という名の植物は存在せず、人間にとって都合のわるいものが、雑草と呼ばれるにすぎない。現代人に平気でまかれる除草剤も、ナウシカでいうところの、科学兵器であり、文明の暴力によって腐海を焼き尽くそうとすることと同じである。

 

生き物においても同じである。作物を食うものを害虫(害獣)と呼び、害虫を食うものを益虫と呼ぶ。森にいると、朝から晩まで蚊にまとわりつかれている。作業をして息が荒れると、50匹近くの蚊にまとわりつかれることもある。しかし、まだ一度も刺されていない。腕に舞い降りた一匹の蚊を観察していると、犬が地面に埋まった宝を掘り起こすように、どこの血を吸おうか探りながら3秒ほど歩き、吸える血がないと判断するとそのまま飛んで行った。

蚊は酸性の血液を好む。人間の血液は弱アリカリ性であり、万病は血液が酸性に汚れるときに生ずるのである。もし蚊が悪い血を吸ってくれているのだとしたら、なんと自然はよくできているものではないか。

 

そう考えると、我々人間が存在するのも、必要によって生まれたと考えることができるのである。神がなぜ人間を生かすのかこの意味を問うているのである。ただし、経済的な指標だけで雑草や虫を排除するような分別であるかぎり、人間に対しても、また自分自身に対しても、同じような視点しかもちえなくなる。経済のためにならない人間は価値がなく、生きる意味がなくなってしまう。私はそうは思わないのである。

人間は万物の霊長である。神に近い存在として、宇宙神秘を地上におろし文化をつくりあげてきた。この延長線に人間の使命があると思うのである。必ずしも”自然に優しい”とうたう偽善的なものではなく、天を思い人間の分をわきまえれば、自ずと分別は生れるのである。なぜ神は人間を生かすのか。その大河の一滴として、なぜ神は自分を生かすのか、その天命を想いつづけたいのである。

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