純粋な一点を目指して、純粋な点になれ[161/1000]
自我のまわりに法を纏うのだとしたら、自己が点になるほど強く思い焦がれることが、武士の在り方だったかもしれない。 純粋な一点をめざして「純粋な点」になることが法を身とすることの本当の意味ではないないだろうか。https:/…
自我のまわりに法を纏うのだとしたら、自己が点になるほど強く思い焦がれることが、武士の在り方だったかもしれない。 純粋な一点をめざして「純粋な点」になることが法を身とすることの本当の意味ではないないだろうか。https:/…
タイのきたない屋台で、愉快なおばちゃんが作るパッタイを忘れられないのは、その空間に満ちたエネルギーの大きさだった。エネルギーは物の貧しさや満ち足りなさ寒さ空腹さの中に凝縮されていく。 ガス抜きすれば人生は安定するが、本当…
この命も、この身体も、この人生も、自分のものだと思って生きてきたが、死を考えてもなお、そのように言うことができるだろうか。 燃やされる肉体は煙となり、灰となり、純粋な光や音となって、肉体から解放された魂は、エネルギーとし…
「スブーティよ、どう思うか。永遠の平安の流れに乗った者が、<わたしは、永遠の平安への流れに乗った者という成果に達しているのだ>というような考えをおこすだろうか。」(中略) 「師よ、そういうことはありません。永遠の平安への…
現代は生の衝動に傾きすぎていて息苦しいという着想から、武士の世界が美しかったのは、生と死の2つの衝動のど真ん中を生きていたからという考えを経由して、サムライの国に生まれた男として、生と死のど真ん中を生きる道を自分なりに探…
自分を大切にする風潮のど真ん中で、自分を大切にすることの価値を全否定したい。 誤解を招きそうであるが、これは自虐的になれということではない。自虐性も蓋を開ければ、自分を大切にしすぎて、こじれているだけだったりする。 &n…
自分を赦すとか赦さないとか、誰かを赦すとか赦さないとか、そもそも人間は、自分で自分たちを裁けるほど完全な存在なのだろうか。 当たり前のように人を裁いてきたが、それこそが真の傲慢だったのだろうか。https://t.co/…
満たされる自分を拒絶していたのは、満たされる心に生じる、慢心さや奢りを赦せないからだった。 幸せであることと、満たされることは、似ているけど別物。前者は透明で後者は不透明。 私の場合、満たされる心に慢心さや…
気持ち的には700日目くらいの投稿の感覚だが、まだ153日目。 漕いでも漕いでも進まない自転車に乗っているような感覚。漕いでも漕がなくても一定のスピードで進んでいく中、毎日の渾身の生命エネルギーを出力していくのはいかにも…
死んだ人間に安心感をおぼえるのは、これ以上裏切られて失望して傷ついて悲しい思いをすることがないからだろうか。 生きているかぎりは人間で、どんなに格好良く生きていても、慢心1つで卑怯者にも臆病者にもなる。死んで人間を終えた…