自分を死なせるとか物騒なこと書いて申し訳ない②[183/1000]
身体が凍えても、目の前の相手が寒そうにしていれば上着をかけてやる。米がわずかしか残っていなくても、飢えている人間がいたらこれを食えと差し出してやる。命を顧みず飛び出して行く。そんな自己犠牲的な愛に純粋さを感じるから、我々…
身体が凍えても、目の前の相手が寒そうにしていれば上着をかけてやる。米がわずかしか残っていなくても、飢えている人間がいたらこれを食えと差し出してやる。命を顧みず飛び出して行く。そんな自己犠牲的な愛に純粋さを感じるから、我々…
自分を死なせるとか、物騒なこと書いていることは自覚していて、それでも懲りずに読んでくれる人が一定数いると思うと申し訳なくなってくるなぁ。この3か月は、武士道の強面といわれる山本常朝の「葉隠」に感銘を受けて、「武士道とは死…
陽が昇る前の朝は自分の呼吸に気づき、陽が世界を照らす日中は世界の呼吸を感じて、陽が沈めば再び自分の呼吸に帰ってくる。そうして常に呼吸と共にあるのが理想だろう。 「天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するよう…
黒澤明の「羅生門」の終盤で、ある男が放った言葉がずっと頭に残っている。「どいつもこいつも手前(てめえ)のことばかりだ。」そう言い放つ男は、羅生門に捨てられた赤ん坊を見つけると、赤ん坊をくるんだ着物を取ってしまい、持ち帰っ…
人の呼吸を感じるとき、その人間の命を感じる。 幸せも不幸も、喜びも悲しみも、満腹も飢えも、いつから誰かのものだと思い込んでいたのか。自分が消えるとき肉体が隔てる境界はなくなり、個の所有の概念はすべてなくなる。幸せも不幸も…
寒波に怯えている。自分を大事にしすぎているからだろう。 マイナス10度の野外を寝袋で生きていたことを思えば、雨風しのげる車の中でマイナス5度や6度くらい大したことないはずだ。温かさに触れるのは、白湯とご飯をいただく時くら…
聖典を読み込むことでそこに宿る魂を知ろうとするように、歴史に名を遺す人物がどんな息遣いで生きていたかを知ることは、法を身とする実際的な助けになる。純粋な魂を宿した人間の呼吸には、個性が加わるがその息遣いを辿って魂にぶつか…
かたちによってわたしを見、 声によってわたしを求めるものは、 まちがった努力にふけるもの、 かの人たちは、わたしを見ないのだ。 目ざめた人々は、法によって見られるべきだ。 もろもろの師たちは、法を身とするものだから。 そ…
昨夕、諏訪湖を眺めながら、傷ついた時とは違う、不仕合わせな苦しみを感じていた。 まるで亡霊のようだと思った。死ねなかったとき、自分は生きた亡霊となって、自己の内を永遠と彷徨いつづけ、自分を蝕みつづける。心を蝕み、身体を蝕…
「不仕合わせのときにくたぶるる者は益に立たざるなり」 今がそんな状態にある。不仕合わせで、自分が役に立たずで、くたびれている。自分が大事になり過ぎた結果、生まれたのは迎合と惨めさと恥だった。天に仕えることも、天に合わさる…