宇宙より授かったエネルギーを、宇宙に向かって放つのだ[425/1000]

宇宙より生まれしとき、エネルギーを授かる。これを元気という。生命は、この気を再び宇宙に還すために、その生をまっとうする。その代表的なものが仕事である。仕事は、自己のエネルギーを用い、世界に何かを生産することで、人の役に立つことをいう。宇宙から授かったエネルギーを、宇宙に向けて放ち、すべての肉体のエネルギーを使い果たしたとき、人間はその役目を終えたように死ぬのである。

 

社会では、エネルギーの交換が盛んにおこなわれる。消費や生産とは、エネルギーの動きをいうものである。誰かが生産したエネルギーを受け取ることを消費という。自分のことしか考えられなくなると、消費を繰り返すようになる。しかし、ここに生産が伴わなければ、自己にエネルギーの渋滞が生じ、心身に不調をおよぼす。元気がないときは、消費行動によって誰かからエネルギーを受け取らなければならないときもある。しかし、エネルギーの滞りによって元気がないときは(これを気滞という)、生産行動によってエネルギーの循環を取り戻すことが、元気になる手がかりとなる。

どの時代にも、仕事はいつも存在する。仕事とは、宇宙より授かったエネルギーを、宇宙に還元するためのもっとも美しいものであるためである。ゆえに仕事をせず、自分のためだけに生きることになれば、死ぬにも死ねない状態となる。

 

人類の偉大な文化に騎士道や武士道がある。中世の騎士は、ひとりの婦人に、自己の命を捧げることを誓った。日本の武士も、主に命を捧げその使命をまっとうした。騎士道も武士道も、その偉大な文化は宇宙の仕組みを忠実にあらわしている。これは、自己犠牲である。騎士道にも武士道にも、美しさや気高さが宿るのは、エネルギーの観点でも、宇宙の神秘を忠実にあらわしているからである。

 

元気のないときは、元気が足りないと思って、消費行動をとりやすい。しかし、現代の場合は、ものに溢れ、消費過多になっているといってもいい。元気のないときの99%は、気滞によって生じている。少なくとも私にかぎってはそうであると感じる。だから、手を動かして何かをつくり、人のために身体を動かして汗を流し、歌うことで世界に振動を震わせていると、自然と元気を取り戻していくのである。

なぜ作るのか。何もない世界が退屈だからである。なぜ歌うのか。音のない世界は寂しいからである。なぜ踊るのか。なんでもいい。この世界の片隅に生きている証を刻みこむ。宇宙から授かったこの命は、宇宙にくれてやれ。その心がけが、いい生き方に繋がる。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です