心に風を。心に陽の光を。心に水を。[76/1000]

青森は黒石にいる。5日ぶりに下界に降りてきた!

山ごもりというほどの、山ごもりをしていたわけではないけど、森のイスキアのある岩木山のふもとは、人気が少なくて、いい意味で現実離れした、洗練された場所だった。

 

日々に立ち向かい、今を懸命に生きることは、命をまっとうすることそのものだと思うが、どうしようもなくなったら、今いる場所から距離を置いても大丈夫だ。現実から離れて、自分を受け入れてくれる場所へ行こう。

冷たい世界から見れば、無責任に逃げ出した根性なしに見えるが、温かい世界は、どんな私たちも受け入れてくれる。そして元気になったら、もう一度がんばれと、そっと優しく背中を押して、送り出してくれる。

 

ここがそんな世界でもあることを、森のイスキアから学んだ。

 

 

さて、下界に降りてきた私は、これから青森は南部町という場所に向かおうとしている。

 

1週間前にお会いしたMさんから、そこで自給自足の暮らしをされる3人家族のことを聞いた。

自分達で家をつくって、畑を耕して、鶏を飼って、近所の人から御用聞きの仕事をもらって、自然とも人とも繋がりを大切にされながら暮らしているという。

そんな暮らしを知りたくて、遊びに行ってみようと思っている。

 

 

旅することの対義語は「暮らし」だと思う。

私は自然の中で旅をすることは長いことしてきたが、自然の暮らしはしたことがない。

 

旅することを空や風にたとえるなら、暮らしは木や大地だと思う。

 

日本中を移動して、自分の行きたい地へ赴く生活は、風のように自由気ままだが、地に根付かない生活は不安定でもある。

逆に、大地に根付く暮らしには、安心感があるが、根を張った場所の、日当たりや風通しが悪ければ、心はジメジメして、そこに長く居座れば、カビが生えてしまう。そうなったら、暮らしの何かを変えるか、旅をして心に新鮮な風を吹かせることが必要になる。

 

どう生きるにしろ、人間が自然の生き物である以上、風通しや、日当たりは、よくしたほうが元気になれる。

きっとその形は色々あるだろうけれど、私の中で、畑のある暮らしは、その代名詞の1つになっている。野菜が育つ環境と、心が元気になる環境は似ているような気がする。

 

きっと暮らしをすれば、また旅がしたくなるだろうなとも思う。旅をしたら暮らしが欲しくなる。

大きな空の下で、風に揺れて、陽を浴びながら生きる木を見ると、これが自然だよなと思うけど、人間は動物である以上、色んな地へおもむき、色んな景色を見ることも、ゆるされている。

 

旅と暮らし、動と静、空と大地、陽と陰、風と木、自分を1つに決めようとすると、矛盾が生じて訳が分からなくなる。

その時々で状態は変わっていくから、今自分の真ん中にあるものを、そのままやりたいようにやるしか、今の自分にできることはないよなと思う。

 

昨日、120g700円の塩を買った。

海のそのままをそのまま持ってきたという宮古島のお塩。他の塩と比べるとダントツで高かったけど、玄米を味噌汁と塩だけで食べている今の食事を考えると、おかず一品買ったと思えば、私はこの塩を買うにふさわしいと思った。

 

早速昨日、我慢できなくて、翌日食べるために残しておいた玄米ご飯に、塩を振りかけて食べた。

玄米と塩だけの、とても簡素な組み合わせだけれど、こんなのでも、とても美味くて、ちゃんと元気になれるのは不思議だなと思った。

 

ひきつづき、元気になれる食の探求は、続けていきたい!

今は余分なものを、そぎ落とせるだけ、そぎ落とした状態なので、ここに小さく少しずつ、足していこうかな。

 

じゃあ今日はこの辺りで!

また明日!ばいばい!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です