現実から目を背けない人間がカッコいい[83/1000]

岩手は九戸村(くのへむら)にいる。青森南部から岩手北部にかけて、一戸(いちのへ)から九戸(くのへ)まで、数字にちなんだ地名がある。

名前の由来は諸説あるが、ここ九戸は、 「花と緑が織りなす安らぎの里」とよばれているらしい。山に沈む夕日が綺麗だった!

 

「山の中に住むことと、山の見えるところに住むことは違う」と長野県しなの町で会ったお兄さんが言っていた。

お兄さんは、山が好きで、山の麓にうつり住んだが、ほんとうは山が見たかったことに気づいて、山の全体を俯瞰できる里に再び引っ越したという。

 

昨日のような山に沈む美しい夕日も、山の全体を俯瞰できる里からしか、拝むことはできない。

しかしここに暮らしを築いて、毎日拝めることを想像しても、ちょっと爺くさいなと感じてしまった。

 

自然に生きたいと思うが、ただ癒されて、感覚の奴隷になることとは違う。

自然の暮らしというと、スローライフという言葉がよく使われるが、その言葉は生温くてあまり好きじゃない。爺くさいし、憧れチックでカッコ悪い。

 

先日、1から暮らしをつくられたTさんご家族をみて、これはスローライフなんてものじゃなくて、ハードでワイルドなものだと思った。

そして、ライフというより、リブ(live)だと思った。憧れを追っかけてるんじゃなくて、汚いことや苦しいことにも目を向けて、今ここの現実を生きてるのだと思った。

 

 

スローライフ、バンライフ、セカンドライフ、「〇〇ライフ」という言葉はたくさんあるけど、どれも嘘くささを感じる。

きっと憧れを扇動するメディアの造語なんだろうけど、人の命を軽々しく扱っている印象を受ける。

 

本当は、ライフなんてものは存在しない。あるのはいつも、今この瞬間のリブ(live)だけ。

聞こえのいいイメージに騙されて、空想を掴まされちゃ、今ここの自分が置いてきぼりになる。

 

 

心はいつも何が嘘で、何が本当か、ちゃんと見抜いている。

心はいつも現実を見ている。それがあまりにも鋭すぎるから、つい目を背けたくなるけど、そのど真ん中を行かなきゃ、いつまでたっても今ここから進んでいかない。

 

「どれだけ現実から目を背けずに生きられるか=どれだけカッコよく生きられたか」

なのかもしれない。

 

私は、現実逃避をバリバリしちゃう人間だけど、カッコよく生きたい。

大変だけど頑張ろう。川の水面にうつる夕焼けも美しかった!

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