人類として生き、人類として死にたい。[281/1000]

虚無に堕ちることが怖ろしい。あの苦痛にだけは耐えられない。

永遠から切り離されれば虚無となる。文明から孤立すれば虚無となる。楽を欲して、楽に堕ちれば虚無となる。同じように解放を望んでも、自由の虚無には耐えられない。

 

魂が枯れて、失われていくあの苦痛を、何よりも恐れている。あの苦痛だけは、どうしても慣れることができない。こうして毎日言葉を綴るのも、第一に、虚無を恐れているからだ。気高い動機など、これっぽっちもない。永遠に向かって伸ばし続けるこの右手は、虚無の恐れに支配されて震えている。

 

言葉は、天に憧れ、天に到達しようとするエネルギーの放射だ。だから言葉は、地上的な苦悩と狂気に満ちながら、絶望と希望を含み、いつも天に向かって放たれる。すぐ後ろには悪魔が待ち受け、地の底へ引きずり堕とそうと両手に鎌を携える。あの手この手で誘惑し、魂を刈り取ろうとする。

 

メフィストフェレスは、酒場でどんちゃん騒ぎをする連中をこう言った。

「あいつらにはわたしが悪魔だということが絶対にわからないのです。」

 

悪魔であることの自覚は難しい。知らず知らずのうちに、魂は刈り取られ地に堕ちる。聞こえのいい言葉や、流行りもの、楽で放縦なものには、大体悪魔が潜む。これに対抗する術が、時の洗練を受けた書物や音楽だと思う。永遠であるものだけが、時の摩擦に耐え抜いて、悪魔のまやかしから目覚めさせてくれる。

 

酒場でどんちゃん騒ぎをする連中のように、これが悪魔の仕業であろうと、幸せならいいじゃないかと思ったこともある。現に、現代の論理はまんまこのとおりだ。幸せならいいじゃないか。幸せで何が悪い。私は強くない人間なので、幸せの中に嘘を見つけなければ、さっさと幸せになって、悪魔に魂を差し出すことも厭わなかった。

 

虚無の苦しみが、不幸の苦しみよりも勝っていたから、不幸を選ぶことにしたにすぎない。ここに高潔な動機など、微塵のかけらもない。一番に恐れるのは、魂が枯れていき、人間でなくなってしまうような、おそろしい苦痛なのだ。不幸もまた苦しいが、魂があるかぎりは、人類の苦しみであり、人類の歓びである。人類として生き、人類として死ねる。永遠に憧れ、希望を語ることが赦される。

 

とはいえ、それでも地に堕ちるのが人間の弱さだと思う。少なくとも、私は自分の弱さばかり見えて仕方がない。堕ちそうなところを、堕ちてたまるかと、ぎりぎりのところで生きている。しかし、砂漠のど真ん中で喉が渇けば、悪魔の杯で喉を潤すことを選ぶだろう。私は死にきれず、地獄に堕ちてまで、生に固執する。そのような卑劣な人間なのだ。

武士道の高潔は、私には相応しくないのか。いや、まだあきらめるには早い。死ぬ最後の瞬間まで、命は試されるのだ。あきらめるなど、もっとも卑劣だ。堕ちても堕ちても這い上がろうと、もがきつづけるのだ。

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