いざ孤独の高みへ[128/1000]

なんだかんだ葛藤だらけのこの1000日投稿も、思い立ったのは、坂口恭平さんの言葉にある。1年以上続いた引きこもり鬱から身を奮い立たせて家から飛び出したものの、身体だけ外にあって、心はまだ内にあるような状態だった。外に出たことで、多少は心も引っ張られる形で気を養うことができたが、心の深淵を見つめれば、変わらぬ不安は常に底にあり、状態によって左右に揺さぶられれば、鬱がぶり返されることは、なんとなく感じていた。

新潟の海で鱚を釣りながら、超絶元気になったと感じた私も、本当に、1滴の不安もなかったかと言われれば、そんなことはなく、私は常に怯えていた。当時の私は、心が永遠に安定することを望んでいた。

そんなとき、坂口恭平さんの言葉に出会ったのだった。坂口恭平さんは「躁鬱の人間は暇だと鬱になる」といった。だから「死にたい」という言葉も裏を返せば「手を動かしていないだけだ」と言い換えたのだった。

私が1000日投稿を始めた動機はここにあった。とりあえずブログ投稿を始めれば、1000日間は「暇死」することはないと感じたのだった。今思えばあまりいい動機とは言えない。しかし、結果的に言葉を綴っている時間は、心を何かに宿すことができた。心は常に自分の内に留めておくには、心の統御を失った私には手に負えないものだった。

 

最近は、時間を見つけて本を読むことを覚えた。本は孤独な人間との相性がかなり良く、孤独に潰されそうなときほど偉人たちの魂を感じられる。世間の人間と交わることが水平に働く行為だとしたら、読書は垂直に働く行為だ。孤独なときに水平に繋がろうとすると、満足な結果を得られないまま、スマホをただ眺める時間で終わってしまう。その点、読書は自分を高みへと導いてくれるような感覚がある。偉人たちの魂を感じ、繋がり、自分が古今東西どこにでも行ける存在だと知れる。この時自分は肉体を超えて魂となる。孤独の高みへ、と書いて孤高である。高く高く生きていきたいのなら、水平に働くことを辞め、垂直に働くことを始める必要がある。

今の私はこれを語れるほど、出来た人間ではない。ただ、28の私は今、一人を試される運命に迫られていると感じる。教員を辞めてから、一人の時期に突入してもうすぐ5年になる。なんとなく、この試練を乗り越えないと、いつまでも一人のままであるような気がする。一人潰されそうになるなら、偉人との交流を図ろう。魂の修行だと思おう。

 

精神修養 #37 (2h/84h)

今朝は心が散漫なことに加えて眠気にも襲われ、決して”いい瞑想”とは言い難いものだった。しかし最後の最後の一点だけは、かなり集中できた。その時に思ったのは、”いい瞑想”をすることが、瞑想のゴールではないということだった。

「いい瞑想ができれば良い」という考え方は、損得勘定に縛られたものだと気づいたのだった。せっかく1時間も目を閉じて座っているのだから、集中していい気分になりたいと思っているのだ。その期待が裏切られると、損した気持ちになる。

 

だからといって、”いい瞑想”を放棄して、瞑想中に怠けてもいいという口実にすることは、言語道断である。瞑想においてタブーがあるとすれば、怠惰な心だろう。実際、怠惰な心が一番の敵でもある。

精神を研ぎ澄ますことに真剣に努めれば、魂と肉体との間に葛藤が生まれる。その一点に、少しでも魂が鍛えられた手ごたえがあるのなら、必ずしも集中できなくても意味がある1時間だったと言える。

直接的な利益に結び付かないことへの恐怖心が、”いい瞑想”への執着を生む。集中できなかったことへの嫌悪を増長させる。日本刀のように研ぎ澄ました精神を身に着けることは目的の1つではあるが、そのさらに奥に魂の修行があることを忘れてはならない。

 

[夕の瞑想]

肉体の疲労と睡魔に負けて身体を横にしてしまい、そのまま気づいたらすっかり寝てしまった。屈辱あるのみ。阿闍梨(あじゃり)の話を思い出す。(阿闍梨の説明は省くが、千日回峰行という命がけの修行を成し遂げたお坊さんのことを言う)

修行といえば昔は死者が出ることも当たり前だった。それくらい命がけで厳しさの中に身を投じていたのだ。今の私はどうだ。「修行」なんて言うことが恥ずかしいほどであろう。百歩譲って眠くなるのは仕方がないが、横になったら駄目だ。不格好でもいいから戦うんだ。

 

50代くらいの女性が一人、三輪の花を大事そうに抱えて、右足を引きずるように歩いていった。

半ば、私のホームと化している諏訪湖は、毎日のように誰かしらが走っているが、彼女の悲壮感漂う雰囲気は、諏訪湖の日常とはかけ離れたものだった。私は彼女から溢れ出る、悲哀さと勇ましさに、心を奪われながら、その美しさに孤独な心が共鳴するのを感じていた。

そんな諏訪湖の午後、気づけばすっかり寒くなった。温かさを欲しながらも、このまま冷たさの中に身を投じていく。

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