愛や友情は狂気の中にある。気違いと死狂いにある。[239/1000]
本気にては大業ならず、気違いになりて死狂いするまでなり。 この葉隠の一句が指す”大業”は、お金持ちになることでも、幸せになることでもなく、人間として生き、人間として死ぬことをさす。”本…
本気にては大業ならず、気違いになりて死狂いするまでなり。 この葉隠の一句が指す”大業”は、お金持ちになることでも、幸せになることでもなく、人間として生き、人間として死ぬことをさす。”本…
信仰を失った代わりに、干渉の自由も失った。信仰のない干渉は水平的であり、これは価値観の押しつけ合いにしかならない。だから今日は相手を受け入れることの価値が善となった。 今日、人に干渉することは、恥辱を受ける覚悟がいる。恥…
本日、とむの家(諏訪湖)の訪客を最後に、とむの家を終えることにした。「※とむの家について」 2019年11月から始めたとむの家には、10数名の方が来てくださったが、毎度粗末なおもてなししかできなかった。それでも訪客は皆、…
美しき魂を知りたくも、知られないのは、物質主義の現代の感覚に侵されているからなんだろうか。生易しい世界に侵されているのだろうか。 肉体が水平化することは、垂直方向の感度を失うことを意味する。ドストエフスキーの罪と罰を読ん…
自己中心性からの脱却は、魂を懇願する現代人にとって大きな苦悩である。人に好かれたい、幸せになりたい、美味しいものを食べたい。こういった価値観が社会で認められ、メディアを通して日常化されるにつれ、生は水平化の一途をたどり、…
自己中心性からの脱却は、魂を懇願する現代人にとって大きな苦悩である。人に好かれたい、幸せになりたい、美味しいものを食べたい、楽しい思いをしたい。こういった価値観が当たり前のものだと社会で認められ、メディアを通して日常化さ…
わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを…
「もらとりずむ」というブログ名でかれこれ5年近くやってきたが、この度「草枕月記 -くさまくらつき-」と改号することにした。 何者でもない私の思想など、読み手にとっては問題とされないかもしれないが、せっかく縁をいただいた数…
主に仕える武士が切腹を命じられて、可哀想だと感じるのは、現代人の自分中心主義に偏った感覚である。 恩を感ずる人間に忠義を尽くすことは人間の美学であり誇りであり命の賞賛である。 その精神の下ではやりたいことや好きなことを仕…
互いへの要求は束縛を生み、束縛は責任を生み、責任は人を行動に駆り立て、行動は人を強くする。束縛のない関係は自由なのではなく、希薄なのである。 見返りを求め、求められる関係に、血の通った温かさを感じる。むしろそんな関係にし…