幸せと仕合わせの違い/不幸を恥とせず仕合わせを誇りとする[164/1000]
葉隠に「不仕合せの時、草臥るる者は益に立たざるなり」という一句がある。 なぜ「幸せ」ではなく「仕合せ」なのか、ずっと疑問だったが、これは幸せの旧字なのではなく、”仕えて合わさる状態”を指しているの…
葉隠に「不仕合せの時、草臥るる者は益に立たざるなり」という一句がある。 なぜ「幸せ」ではなく「仕合せ」なのか、ずっと疑問だったが、これは幸せの旧字なのではなく、”仕えて合わさる状態”を指しているの…
法は宇宙のものであり自然である。ゆえに天を畏れ、これに仕えることをもって目的とする者のみが法を実行することができる。 天はあらゆる人を同一に愛する。ゆえに我々も自分を愛するように人を愛さなければならない(我を愛する心をも…
一人で空を見上げる人間ほど、潜在的な部分で天に恋をしているのだと思う。人それぞれ、天に通ずる道を持っている。直感的にこれを失えば、天から切り離されると感じるものがある。これをしなければ人生が進まないと感じることがある。そ…
自我のまわりに法を纏うのだとしたら、自己が点になるほど強く思い焦がれることが、武士の在り方だったかもしれない。 純粋な一点をめざして「純粋な点」になることが法を身とすることの本当の意味ではないないだろうか。https:/…
タイのきたない屋台で、愉快なおばちゃんが作るパッタイを忘れられないのは、その空間に満ちたエネルギーの大きさだった。エネルギーは物の貧しさや満ち足りなさ寒さ空腹さの中に凝縮されていく。 ガス抜きすれば人生は安定するが、本当…
この命も、この身体も、この人生も、自分のものだと思って生きてきたが、死を考えてもなお、そのように言うことができるだろうか。 燃やされる肉体は煙となり、灰となり、純粋な光や音となって、肉体から解放された魂は、エネルギーとし…
「スブーティよ、どう思うか。永遠の平安の流れに乗った者が、<わたしは、永遠の平安への流れに乗った者という成果に達しているのだ>というような考えをおこすだろうか。」(中略) 「師よ、そういうことはありません。永遠の平安への…
現代は生の衝動に傾きすぎていて息苦しいという着想から、武士の世界が美しかったのは、生と死の2つの衝動のど真ん中を生きていたからという考えを経由して、サムライの国に生まれた男として、生と死のど真ん中を生きる道を自分なりに探…
自分を大切にする風潮のど真ん中で、自分を大切にすることの価値を全否定したい。 誤解を招きそうであるが、これは自虐的になれということではない。自虐性も蓋を開ければ、自分を大切にしすぎて、こじれているだけだったりする。 &n…
自分を赦すとか赦さないとか、誰かを赦すとか赦さないとか、そもそも人間は、自分で自分たちを裁けるほど完全な存在なのだろうか。 当たり前のように人を裁いてきたが、それこそが真の傲慢だったのだろうか。https://t.co/…