森の家づくりの経過[436/1000]

森の家づくりも、気づけばずいぶんと家らしくなり、終わりが見えてきた。残すところは、窓とドア、それから塗装して外装は完成する。家のなかにはベッドと本を読むための机、それから本棚をつくる予定だ。薪ストーブは、壁に穴をもうける関係で先に設置した。あと1週間のうちに外装は完成させたい。

最初のころは、家をつくる様子をカメラで撮影しながらやっていたが、途中からやめてしまった。カメラの配置や、つくる様子、動画の構成や自分の映り方などが気になり、家づくりに自分のすべてをぶつけられていないようで気持ち悪かった。憧れに俗欲が混ざるような心地悪さである。動画を楽しみにしている人がいたら申し訳ないとも思ったが、この申し訳なさこそ、くだらない自分の善人性だと思い、ここはBTM(Break the Moral)作戦により一掃し、家づくりに集中することにした。

撮影をやめたおかげもあって、家づくりのギアは一段も二段もあがった。頭に憑りついていたものは霧消し、意志力のすべてを使えるようになったおかげで、一週間ちかく立往生していた工程を、わずか半日でつっきった。記録に残らないことは残念であるが、こればかりは自分の弱さであるから仕方がない。悔しいなら耐えてやり切るしかなかった。家づくりの動画は、美を探求しようと心に決めていたものであったから、未完となったことは正直悔しく、自分の力不足と言うほかない。せめて、完成したあかつきには、その姿だけでももう一度撮影しようと考えている。

昔から、一つのことしかできない性分であった。森に家をつくるために仕事もやめた。その点私は不器用であるが、この性分だけが自分を誇りに導くものであると感じている。憧れが胸を打ったとき、最短距離でその一直線をつっぱしっていく。その先どうしようとか、老後にやろうとか、肉体の損得は考えない。今ここで、手にしにいくのだ。憧れが強いほど、肉体はどうでもよくなり、目の前の日常を突き破り、非日常に向かっていく。これは、Break the moralの目指すところと同じである。なんか調子が悪いときは、追い求めるものがなく、日常に閉ざされてしまっているにすぎない。そんなときは、日常のなかであがくことが精一杯となるが、ほんとうは日常から突き出たほうが解決に導いてくれる。

日常を飛び出して非日常へ。そしたら、非日常が日常になるから、もう一度非日常へ。死ぬまで到達できない。その永遠を仰ぎみて、さあ家づくりも終わらせにいこう。

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