BTM(Break the moral)作戦⑥-不良はなぜモテるか[435/1000]

日常を打ち破ることを自己に課すにあたり、変えられないもの、すなわち、宿命を魂で掴む必要がある。宿命を認識できるほど、その上でどう「運」動していくか、すなわち「運」命に体当たりできるのだと、尊敬する執行草舟先生はいう。

夢や憧れといった非日常に向かうには、日常の鎖を引きちぎらねばならない。その日常における代表的なものが、連日、Breakしようと試みる道徳である。知らないところで自分に課したルールによって、善人とはなるが、惰性的な日常は繰り返されやすい。

刺激を求める女は、不良を好んだのは、日常を突き破ることに快感をおぼえたからではないのか。善人は正しいかもしれないが、正しい生活は退屈である。ただし、不良にも永遠に伸びる憧れの放射がなければ、その威勢は日常に閉じこめられたまま、自堕落に陥りやすい。

変えられないものとは、まさにこの憧れの放射である。歴史を学ぶことで、自分が宇宙の根源と繋がり、その根源から一直線に今日という日常を貫いているものを掴まなければならない。

宇宙の根源から今日のこの心臓を貫く一本の光を感じるかぎり、ここから外れるものは、言ってしまえば運命的にはどうでもよく、変えてしまってもよいものなんだと思う。自己に無意識に課しているつまらないルールも、何気なく行う習慣も、その大半ものはどうでもよいものとなる。

日常のある部分に固執するのは、それが変えてもよいどうでもいいものだという認識が弱いからであろう。歴史を学び、国を知り、自分の生まれた環境と、家族と、これまでの生き方から心臓を貫く光を感じれば、怖がることも固執する意味も感じなくなる。

少し前に流行った自分探しという言葉も、最近はすっかり聞かなくなったが、もし自分探しというものがあるなら、宿命を認識することだろう。今日の日本の若者は夢を持たないというが、私もその一人であったけれど、それも無理はないと思うのである。学校の歪んだ歴史教育からはじまり、国への誇りも感じられなければ、魂や美や永遠といった運命の問題はなおざりにされ、お金や安定や見栄などの日常的な問題が第一となっている。結果的に、好きなことをやることが夢であるという感じになっている。私自身、そうして魂を売ってきた人間なので、自戒を込めて言うしかないのであるが、生というものに確かな重みのある感触を掴みたいのであれば、憧れや永遠に向かうことを決して諦めてはならない。

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