人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた[824/1000]

人間はどこからかやって来て、一つの生活を見つけだす。できあいの生活。ただ人間はそのできあいの服に手を通せばよいのだ。しばらくすると、やがてこの世から去らねばならぬ。否応なしに出てゆかねばならぬ。

(中略)

昔は誰でも、果肉の中に核があるように、人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた。(いや、ほのかに感じていただけかもしれぬ。)子供には小さな子供の死、大人には大きな大人の死。婦人たちはお腹の中にそれを持っていたし、男たちは隆起した胸の中にそれを入れていた。

リルケ「マルテの手記」

 

かつての日本には「自然」という言葉はなかったという。人間は自然から切り離されたものではなく、自然の一部として、気づかぬほど常に存在していた。ゆえに、人間の内にも、生活にも、自ずと死があり、生死はせめぎ合うようにしていた。自然を克服しようとする考えは西洋のものである。そこに慣れ親しんだ現代人にとっては、かつての自然観は理解しがたい。

 

最近、働いている畑で、クロルピクリンという劇薬が使われていることを知って、急に疎外感をおぼえるようになった。土壌中に存在する、あらゆる昆虫や細菌を殺処分し、新たに作物を育てようとする営みは、自然を克服せんとする生の営みである。職業としての農業であれば、常識的なやり方である。だが、自然から見れば非常識であり、何というか、街から逃れて村にきても、ここは街だったという感想を抱くのである。

自然は多く残っていても、人間の生活圏は、ことごとく生の文明に覆われている。広大な畑に並ぶ野菜を収穫することは、健康的であるし、何より喜ばしいことであるはずなのに、影をひそめる存在を思うと、どこか冷めた虚しい気持ちになるのである。

 

森の家づくりのほうは、木の伐採と抜根がおおむね片付いてきて、ようやく整地にはいることができた。掘り返したところの地盤がかなり緩くなっているので、丸太を何百回と突いて転圧している。気が遠くなるような重労働であるが、ヨイトマケを歌ってやると気が紛れるのだから、昔の人もよく考えたものだと感心している。

 

物のはじめを「一」と言う

肩に担ぐを「二」と言う

女の大役「三」と言う

子供の小便「四」と言う

白黒並べて「五」と言う

泥こね回すを「六」と言う

物を預けて「七」と言う

飛んで刺すのを「八」と言う

物事くよくよ「九」と言う

焚き火に小便「十」と言う

 

2024.9.21

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