生命と幸せが共存する瞬間[308/1000]

感謝、笑顔、幸せに、沈みゆく生命の

心臓を鷲づかみにして引きずり出す。

満たされているようで、満たされていない、

嘘と本当にまみれた泥だらけの魂は

この荒野の荒々しさに驚いているか。

凍てつく風に傷つけられ、

孤独な月に癒されながら、

同朋の魂が小さく雄たけびをあげている。

ああ、なんと哀しく大地を揺らすのだ。

子猫でも子犬でも子猿でもない、

獰猛な狼が天を仰いで遠吠えするように、

烈しく、勇ましく、そしてどこか恐ろしい。

 

 

幸福、笑顔、感謝に沈没する生命に痛みを感じる人間はいないだろうか。この痛みに耐え切れない生命は、すべてを突き破ろうとするが、人の幸せを突き破り、不幸に巻き添えにする勇気をもたないとき、もういっそ、己の生命を殺したほうがいいと感じるのだ。これを自殺と言わずして何といおう。難を逃れた生命は社会から堕落して、一人孤独な狼として生きる者も少なくない。

幸福や笑顔や感謝の価値を否定するわけではない。私は大切な人の幸せを心の底から願いながら、実は自分自身でさえ、見えていない底の底では幸せを渇望しているかもしれない。ただ、私の生命はいまだ未熟であり、この幸せに打ち克てる強さを持っていないのだと感ずる。ゆえに、不幸に生命をさらけだし、荒野の中で鍛える生き方しか見つけられないでいる。

苦しむほどに生命は強く眩しく光を放つ。この生命が放つ光が、不幸の黒い毒性をすべて包み込むとき、そこに初めて生命と幸せの共存があるのだと思う。しかし、あくまでそれは結果論であって、幸せになることは目的ではないのである。生命が鍛えられ燃える過程に、不幸も幸せも、歓びも悲しみも、現世のすべてを大車輪の中に巻き込んでいくのであって、破壊と再生を繰り返す行為そのものに生命が燃える実感を得たいと思うのだ。大車輪は燃えながら転がり、永遠へと向かっていく。

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