いったい何が親孝行なのか[307/1000]

親孝行。近くにあるようで遠いもの。砂漠に現れる蜃気楼のように、どこまでもどこまでも、遠ざかってしまうようだ。親を安心させてやりたいが、生命は幸せの杯を退け、不幸の炎に突き進もうとばかりする。こうしていつか親孝行しなくちゃと思っているうちに、気づいたときには時遅し、それが叶わぬ夢となってしまうのだ。

 

幸福な人生から脱落したのは仕事を辞めたとき。あちこちを放浪するようになって、家なし生活がはじまった。マイナス10度の地を寝袋だけで生きていることをバカな私は誇っていたが、恥知らずの親不孝な息子であった。出会う人に「親は何も言わないのか」とたずねられた。まともな親であれば、こんな堕落生活をゆるすはずがない。世のために汗を流して働かない男がいれば、甘えるなと喝を入れるのが父であり、所帯を持たずひとりふらふらしていたら、愛情を込めてケツを叩くのが母ではないか。私は、まともな両親に、時代の自由主義を振りかざし、幸福な生活に刃を突き刺すと、自らを不幸におとしいれた。我が子が不幸で幸せな親なんているはずがない。私はこうして親不孝な人間となった。この点において何よりも罪の意識を感じている。

 

2つ上の兄は、小中学校を1日も休まなかった地道な人間で、これまでも一度も転職することなく、一度入った自動車会社で立派な勤めを果たしている。両親は兄によっていくらか救われているだろう。弟の前ではちゃんとしなければという義務感が兄を堕落から守り、兄についていけば大丈夫という甘えが、弟を堕落させるのではないか。自分含めこれまで出会ったきた人間を見ると、そんな傾向を感じる。

 

親孝行をしたいと願うが、親に会う度に苦しくなる。今の私の生命は永遠だけを捉え、現世の不幸も幸せも、すべてを突き破ろうとする。私は両親の幸せをも突き破ってしまうことをいちばんに怖れていて、絶対にそんなことは起こしたくないとひたすら己の生命を殺そうとする。いったい何が親孝行なのか分からなくなってくる。子が幸せになることこそ親孝行だと思っていたけれど、それによって生命が死んでいくなら、生命を燃やすことに恩を返す方法を見つけるしかない。

 

運命の愛だけが、幸せも不幸もすべてを包み込み、すべてを宇宙のなかに還していくと信じている。いつの日か、散っていく桜を見て、またあの世で会おうと約束したように、両親への恩返しも永遠の中で果たされないだろうか。ファウストがメフィストフェレスと魂を渡す約束するとき、この世さえよければ、あの世のことなどどうでもいいと言った。私は時々、この言葉を思い出すと、ひとり迷ってしまう。果たして、あの世のためにこの世を犠牲にしていいものだろうか。しかし、私にはそうした生き方ができなかったのであり、ここまで堕ちたら運命の愛のなかに希望をみつけるしかないのだ。

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