スキンヘッドに入れ墨のある神を信じる男の話[309/1000]

男湯と女湯が壁一枚で隔てられているような古くさい風呂屋が好きである。時刻は昼過ぎ、番台のおばちゃんに400円を渡していちばん風呂をいただこうとしていると、スキンヘッドのおじさんが入ってくる。ここの風呂屋は備え付けのシャンプーも石鹸もシャワーもない。桶で身体を流して皮膚が火傷するんじゃないかと思うほどの熱いの湯船に浸かっていると、おじさんも湯船に入りながら「今日も熱いねえ」と話しかけてきた。そうですね、と適当に返事を返しながら、そういや最近、知らない人間と話していないなと思い「よく来られるのですか」と声をかけてみた。この時初めておじさんの顔をまじまじと見た。スキンヘッドがよく似合う彫の深い顔立ちで、肌は若々しくこんがり焼けており、後頭部には入れ墨が入っている。

 

このおじさんは、私と同じくフーテンの人間らしく、神社を巡る旅をしているらしい。話が進むうちに神の話になった。おじさんは、エホバの証人の家に生まれたが、信じることを拒絶すると、親に勘当されたらしい。子を見捨てて何が神だと、神を人一倍憎んで、悪いことを繰り返すようになる。ちょうどひと月前も拘置所にいたとか。そんなおじさんが、神社でのとある経験から神を信じるようになったらしい。真夜中にひとりである神社を訪れる。不気味で怖くなって帰ろうかと引き返すと、電灯がパッと消える。驚いたも束の間、「しっかりしなさい」と天から声が聞こえたという。声が消えると、再び電灯がパッとつく。すると不思議なことにもう神社を怖いと感じることはなく、むしろ実家以上の安心感に包まれたらしい。

 

この神秘体験をきっかけに、神の存在を身近に感じるようになり、全国の神社をあちこち巡るようになった。それから、色んな超常現象の話が続く。おじさんの思想の軸になっているのは「日月神示(ひつきしんじ)」という書物らしい。日月神示は神典研究家の岡本天明に自動書記(神の啓示のままに自分の意志とは関係なく手が動くように筆記される)よって書かれたと言われる。超常現象に由来する不可思議な日月神示は、現代では予言書として読まれることも多いらしく、第二次世界大戦の東京空襲やコロナや災害といったものもすべて予言されていたとおじさんは話す。

 

それからおじさんの話は、神の教えに移っていくのだけれど、このあたりから私は聞くのが苦しくなっていた。私は日頃、神や魂について言葉を綴っているものの、おじさんのように神を信じてはいないのだとはっきり分かったのだ。現代、神を信じている人間は、幸せな人が多い印象がある。昨年、諏訪の教会でクリスマスミサに参加した時、パン(キリストの御身)を幸せそうに食べていたご婦人はこの上なく幸せそうだった。このおじさんも「神様を信じると自殺とは無縁になる」という言葉のとおり幸せそうだった。私は神を求めていながらも、神を信じていない人間だった。

 

私が日頃、魂や永遠といった問題を扱うのは、つきつめていくと自己の根源を問うことにある。死を考えることによって、この世の生をどう生きるかにいちばんの関心があって、超常現象や予言、オカルト的なことはあまり得意ではない。神を信じるおじさんとの巡り合わせは特別なものだったに違いない。しかし、私は神を信じていないという点で、これ以上の話は苦しくなるばかりだった。風呂が熱すぎて、のぼせてきたことも影響していたかもしれない。

 

おじさんはジムニーに乗って去っていった。去り際までカッコイイおじさんだった。堕ちるところまで堕ちて悪魔に魂を売った人間が、今は神を信じている。そんな人間がカッコよくないはずがなかった。スキンヘッドの似合う男に憧れるが、スキンヘッドが似合うにはもっと地獄を遍歴しなければならない。おじさんは今でも悪人に見えた。悪を抱えながら、神を信じているのだと感じた。

さあ、死ぬまでにスキンヘッドが似合う男になれるのか。歳を重ねれば髪は薄くなっていく。その救済は、脱毛剤でも育毛剤でもなく、地獄を遍歴し、髪に頼らずともイカした男になることだ。

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