インドからの手紙②【インド紀行⑨】[624/1000]

慣れない土地に行くと、時間の進みは遅くなります。体感、既に一週間くらいデリーにいる気がしますが、まだ3日目の朝です。同じ3日でも、空虚に過ごす日々であれば、1日の体感に凝縮されてしまいます。旅は時間に相応の、もしくはそれ以上の重みを与えてくれます。しかし、こたびの旅では時間に対して多くの表象を与え、表面をせわしなく疾駆するのではなく、深みへ深みへと沈んで行こうと思っています。安宿の沼に沈殿し、退廃していくヒッピーは沢山いますが、そうはならないように気を付けます。僕の場合、まず空虚であることに耐えられなくなるでしょう。

 

旅に移動はつきものですが、何の変哲もない一カ所に腰を下ろし、定点観察するのは楽しいです。朝7時から屈強な男たちがシャベルで工事をする様子や、子供たちがトゥクトゥクに乗って通学する光景、ゴミ山を漁る野良犬の様子でさえ、10分、20分と足を止めて観察するに値します。例えば、シャベル工事をするおじさんたちは、日本の道路工事で見られるような、重機械などは一切つかわず、砂利を袋に手で積むと、木でできた大きな一輪車に袋を山積みにして4,5人の人数で運んでいきます。これだけ見ても、中世に遡ったような、素朴な慣習に楽しむことができます。

 

2日目は1日中歩き回り、足がクタクタでしたが、3日目の今日も1日中歩き回っていました。疲れを忘れてしまうくらい、デリーの街は気持ちを高ぶらせてくれます。歩きながら、こんなことを考えました。

夜中にバイクでクラクションを鳴らしまくるような、寂しさに飢えた日本の非行青年たちも、デリーの熱気に送り込めば、たちまち騒音に掻き消され、空虚な心臓に熱い血が注がれるだろうと。

 

どの国でも、青年は旅人に理解を示します。20ルピーのおつりを誤魔化そうとするおじさんに、注意をしてくれたり、近くで坐っていると、話しかけてくれます。彼らは信仰に厚く、自分の神様である、シヴァやラクシュミやパールヴァティについて、とまらぬ勢いで色んなことを教えてくれます。

 

今は、デリーからバラナシに向けて、12時間の寝台列車に乗っています。「チャイ、チャイ、チャイ」とチャイ売りのおじさんが歩いています。デリーの寝台列車にも等級があります。いちばん下がSleeper”SL”というクラスですが、これは地元民が多く利用し、当日客で溢れかえります。僕は一つ上の「3A」のクラスを選びました。SLを選べなかった自分を恥じていますが、ここ数日の疲労を加味すると結果的に少しの休息は必要でした。

デリーで街を歩いたとき、彼らの多くは素朴でしたが、「3A」のインド人は、かなり洗練されています。10人のうち7,8人はスマホで動画を見ています。

 

この2日間はとても疲れました。身体は元気のはずですが、咳が出ます。インドの砂塵を吸い込んで、菌が体内に入り込み、そろそろ身体はインドへの適応をはじめて不調をきたすかもしれません。

体が眠りを必要としているので、ここらで休みます。まだ書きたいことはありますが、それは次の機会に。では、また。おやすみなさい。

 

2024.3.5

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