インドで高熱に見舞われる【インド紀行⑩】[625/1000]

異邦の地で発熱に見舞われるほど心細いことはない。デリーからバラナシ行きの寝台列車に乗ってすぐ、咳が急に深くなり、身体が熱を帯び始まるのが分かった。思えば、身体を壊しても無理はない。インドに来て数日であるが、毎日のように8キロのバックパックを背負って、車と人の雑踏下を7時間も8時間も歩きつづけたのだ。インドの砂塵や排気ガスを思う存分吸い込み、飯だって大して衛生管理の行き届いていない露店で、洗いもしない素手を使って食べていた。体内に細菌は充満しているはずで、身体の疲労が蓄積すれば、一時免疫では対処できなくなり、発熱したっておかしくない。だが、この発熱によって、肉体はインドへの適応を果たすだろう。そんな風に考えられている間、不運が重なるまで、まだ私の心は元気だった。

 

私が乗った3Aの寝台列車は、「3台ベッド」の「エアコン付き」という意味である。一番上の寝台は、安全性に優れているが、天井がとにかく低い。水を飲むにも寝ながら首を起こすようにして飲まなければならない。それだけなら問題ないが、電車の天井はドーム状になっており、音がとにかく反響する。勘の良い方は察するだろう。不幸にも、カバのようなどでかいいびきをかく男が、私の反対側の上段に寝ており、15時間の間、”一睡も”できないまま、精神的な苦痛を被ることになった。熱に朦朧としながら、まるで地獄だと思った。

 

バラナシに着くと列車から降り、トゥクトゥクをつかまえ、ゲストハウスに直行した。チェクインは9時からであったが、身体の調子が悪く、休ませてほしいと説明すると、7時過ぎであったが部屋に通してもらえた。それから翌朝の7時半まで、24時間をぶっ通しで眠り続けることになった。熱も峠に差し掛かり、ぐんぐんと上昇していく。

 

そうして本日を迎えるわけだが、どうやら私の心持ちは、この1日ですっかり脆弱になってしまった。いまだ身体はフラフラで初日の探索力とはうってかわって、100メートル歩くのもやっとである。あんなに楽しみにしていたガンジス川がすぐそこにあるというのに、果てしなく遠くに感じる。ましてや、日本の故郷はとても遠く、このまま帰れないのではないかという気さえ起きてくる。

私は願った。生きて帰ること、生還することを。もう何も望まない。生きて帰れたら、私は旅に求めてきた情熱に今度こそ成熟してもらおうと思う。

 

2024.3.6

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