年の節目において、人は神様の足音を聞く。忘年だ。労苦の日々は、元ある場所に帰っていくように、われわれの心を離れて、天へ…神様のもとへと還ってゆく。年の瀬、肉体は魂から自由になるようだ。苦しみを忘れ、興に酔う。
年を越すと、新たな歳月を天より授かる。お年玉が歳神様の魂であるように、人は再び魂を得る。われわれが幾年も働き続けるのは、第一に生活を築くためであるが、その活力は天の力に他ならない。もしこの世に歳の節目がなければ、魂は摩耗し心が疲弊するのは想像に容易い。魂は存続のために絶えず賦活される必要があるのである。信仰失われし時代であるが、大家族を文化の礎とする日本人には、家族が集まる正月のひとときは、やはり特別な慣習なのだ。
大家族主義というが、昔と比べれば、家族の単位は随分と小さくなった。われわれは、家族単位で幸福を感じる力に優れているが、今日のそれは、小さな小さな”家庭の幸福”である。それでも、街に出て店が閉まっているのを見ると、文化が金に完全に侵されているわけではないことを知れて、温かいような、懐かしいような不思議な気持ちになる。
今日世を見渡せば、暗い気持ちにならないことの方が難しいかもしれない。だがどうかこの一年も、力強く、愛と希望を忘れずに生きる姿を、神様に見てもらおう。人様に恥じぬ生き方をしていこう。魂を新たに、心を新たに、日本の平和と繁栄を祈る。
2025.1.1