玄米は霊性食である。もし、日本人が皆、玄米を食うようになれば、肚の底に力が漲り、深い誇りのようなものが呼び醒まされると、半ば本気で信じている。あくまで想像を語るだけである。だが、戦後、給食にパンが導入され、ハンバーガーやピザやパスタが常食化し、米を食うことが減るにつれ、日本の西欧化に拍車がかかったのではあるまいか。和魂洋才と言ったものの、気づけば魂までもが骨抜きにされていったのではあるまいか。
私は玄米を毎日食う。だが、もし一週間でも食わない日がつづけば、どうなることやら。私はそれほど玄米に深い信頼を寄せている。玄米のおかげで精神は引き締まり、生活が立ち上がるのだと感じている。
霊性食とは造語であるが、もとを問えば、どんな食い物にも霊性はあるのだと思う。野菜、果物から海藻から木の実まで、すべての植物は創造主によってつくられ、天地より力を受け取って大きく成長している。肉も同じである。野生の猪や、鹿や兎といった野山を走り回る獣たちは、天の力によって生まれ、山の実りによって生かされている。
彼らの霊性は、物質になった途端、つまり商品や家畜となった途端に失われる。冷蔵庫に放り込んだ途端に失われる。何の根拠もない、ただ想像を語るだけである。だが、スーパーに無機的に並ぶ野菜と、畑でもぎ取った野菜の放つ力は別物である。トレイにパック詰めされた豚肉と、自らが刺し仕留めた猪肉が放つ力はきっと別物である。
私が霊性を問うのは、今日の日本人の不足感を埋められるものが、霊性だと信じるからである。心身の健康といった肉体のみならず、精神や魂もまた食い物でつくられることを忘れるまい。
2024.10.23