完全に飲み込まれぬよう抗うしかないのだ。[855/1000]

この引き締まった肉体があるというのに、抱ける女がいないとは勿体ない。激しい肉体労働の日々がつづき、男が見ても惚れ惚れする身体つきになっていることだろう。実際、銭湯に行けば視線を集めることもある。そんな中、農夫であろう爺ちゃんの、よく陽に焼けた逞しい肉体を見ると、おれもまだまだだと反省するのだが。

冗談はさておき、働いている農家から一トントラックを借りて、採石場を二往復した。ダンプではないので、スコップを使って荷台から投げおろしていく。下ろした砕石は、適量を袋に詰めて、穴まで力づくで引きずっていく。大体10往復すると、ようやく一つの穴が砕石でいっぱいに埋まる。これを二十個の穴にやる。一輪車があれば、もっと楽ができるだが、道具がないのだから苦労するしかあるまい。

 

私は力を信仰する。力とは善であり、無気力とは悪であるというのが、私の主要哲学である。まだまだ道は遠いが、力を信じると何でもやれるようになっていく。車も道具も存在していなかった、昔の人間が同じことをやっていたことを思えば、人間の底力というものを信じられるようになる。現代の感覚に照らし合わせて物事を考えると、無力感に飲み込まれる。現代の便利さとは、裏を返せば、無力の信仰である。いまや、交通機関を使わずに、東京から名古屋まで歩ける人間なんてまずいない。

とはいえ、私も道具は使う。車にも乗るし、チェーンソーも買った。その点、恥じずにはいられない。私自身、堕落した現代人であると認めている。だから抗うしかないのだ。完全に飲み込まれぬよう。無気力に堕ちぬよう。

 

2024.10.22