今一番したいことは何?立派じゃなくてもカッコ悪くてもいいんだよ[22/1000]

あまりに素敵なお手紙をもらいすぎて、朝から震えている。

昨日、米山を上裸で登頂したこととか、もうどうでもよくなってる。今はこの震えをただ感じたい。そして、この震えを僕なりの震えにして、彼女に送り届けたい。

(米山の写真は感動したので共有します!)

ブログを書く上で、一番大切にしようと思っていることが、「今この瞬間感じていることを言葉にすること」で、なんなら「今この瞬間しか世界は存在しない」と思っているから、今この瞬間、自分の中に存在している震えを何かしらの形にすることは、生きる上で一番大切にしている事なのかもしれないとも思う。

(…..と書き始めたけれど、ブログなんて書いてる場合じゃないぞ。先に、お手紙のお返事出してきます~。)

 

仕事への強い想いを持ちながらも、慣れない業務や、プレッシャー、人間関係に圧倒され、心を亡くしかけている、と彼女からお手紙を頂いた。

色んな思いや感情が、多忙で複雑に絡み合ってるような印象を受けたので、「どうしたいのかという気持ちが一番大切じゃないか」ということと、「どうしたいかという気持ちは、必ずしも格好の良いことじゃなくてもいい」と思ったことをそのまま伝えた。

 

彼女は、初めに「誠実でありたい」と感じていることを伝えてくれて、同時に「そんなのカッコつけだ」「無理だ」と投げやりに感じていることも伝えてくれた。

それからお手紙は「元気にないときに見返している動画がある」と続いた。

その動画見ると、心が疲れて、どんな言葉も響かない時も言葉はスッと心に入ってきて心が震えるのを感じるのだと。

 

彼女は「『あぁ私は帰りたいのだな』と思いました」という気持ちを伝えてくれた。その後に綴られた気持ちも、一切の澱みがなくて、とてもキラキラとしているように見えた。

お馬鹿な私は、こんな大事なものを見落としたまま、お返事をしてしまい、今、死にたくなるほど後悔している。何てバカなんだ俺は、バカバカ!

 

心の底から出てきた言葉は、「出てきた」というよりも「そこにあった」という感覚に近いのだと、お手紙を読んでいて思った。かっこつけて、自分を取り繕った言葉は「出している」という感じがある。けれど、本当に感じていることは、ただ「そこにある」のだと思う。もっと言えば、そこにある言葉は、「出す」のではなく「出てくる」のだと思う。純度は高い。

 

「帰りたい」というの言葉は彼女のそこに、ただあるのだと感じた。そのままで美しくて、それについて何か口にすることはおこがましいみたいな感覚になった。しかし、実際そういうものだと思う。他人に関与されたり、口出しされることは許されない絶対的な聖域。ただただ、尊いくて神社に拝んでいるような感覚になった。

深い深いところにただある気持ちは、いつも変わらないような気もする。それは笑いたいとか、会いたいとか、手をつなぎたいとか、遊びたいとか、小さな子供みたいな言葉なんじゃないかな。

 

そんなものが分からなくなってるときは、やっぱり自然に飛び込むのがいいなって思った。人に話を聞いてもらうこともいいのだと思う。僕は一人になりがちだから、いつも自然に飛び込んじゃうけれど、誰か話を聞いてくれる人が近くにいるなら、きっとそれがいい。

 

昨日、米山に登ったら、山頂に人だかりができていた。柿崎の海に帰ったら、人で賑わっていた。そんな様子を見て、自然の発する周波数と、人の発する周波数は違うなって感じた。いつもの海が、まったく違うものに見えた。

 

自然はもっと、もっと、ゆっくりに流れてる。そのゆっくりとした流れの中にいると、複雑に絡み合った気持ちはほころんでいく。大きな自然は、人間の周波数を、自然に近づけてくれる。もとはと言えば、我々人間も、自然の生き物だから、そんな状態であることのほうが当たり前で、今の社会の方が不自然なんだと思うんだけどね。

 

多分、悩みって、色んなものが絡んで複雑になって、考えすぎて余計にぐちゃぐちゃになって、もうよく分かんなくなってただただ疲れる、みたいなことになってるだけで、いつもその瞬間、瞬間に、気持ちのそのままを感じられて、形にできていたら、きっと悩みにはならないのかなって思う。

もちろん、その時その時で、悲しいとか、苦しいっていうのは感じるけれど、それは感情がただそこにあるだけ、みたいな状態。良し悪しとかじゃなくて、ただ感情と生きているっていう状態。それは生そのものであって悩みではないよね。

 

 

人間の世界は速すぎるのだと思う。歩くのも速い。食べるのも速い。話すのも速い。乗り物も速い。電光掲示板に流れる情報も速い。お店で注文して料理が出てくるまでも速い。そんでもって、寝るのは遅いくせに、起きるのは早い!

もっとゆっくりでいいんじゃないかい、と俺は思う。速く生きるのが心地良いって感じるなら別にいいけれど、多分ペースあってない人多い気がする。

 

波がザーザーって穏やかに波打つくらいのペースで生きるほうが、合ってるんじゃないかな。

「いやいや、仕事があって」って言われそうだけれど、今この瞬間しか世界はないと思っているし、この瞬間の自分を犠牲にするのは嫌だって僕は感じる。

僕は今、誰でもいつでも来れる自給自足拠点みたいなのつくりたい。

お金をかけなくても生きていけるってこと知れたら、きっと、もっと、大切にしたいことに素直になれる人も増えるんじゃないかって思ってる。辞めたい仕事辞めれないときって、お金がなくなると生きていけないみたいな恐怖に支配されてるでしょ。

そんな支配も、実は速く生きすぎてるだけなんじゃないかと思う。ゆっくり生きても死なない。「遅い!」と周りから言われるかもしれないけど、「私が自然であなたが速いだけ」だ。

 

今日も空も海も綺麗だよ!

雲のようにのんびりと、波のようにザーザー穏やかに、葉っぱのように静かに呼吸をして….

じゃ今日はこの辺りで。それでは、また明日!

【0円で生きていける拠点づくり】

森の中に瞑想小屋を建て、家を開放するのが直近にやりたいことです。

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