ありきたりな言葉を使うより、自分の言葉で話したほうが幸せになれるんだ[23/1000]

柿崎の海の「とむの家」に、初めてのゲスト、Mさんが来た。

彼は真冬の小淵沢で「とむの家」を開いていたときも遊びに来てくれて、一緒に凍えながら温かい鍋を囲ったことがある。

 

柿崎のとむの家、第一回は、結果的に波乱万丈で記憶に残るものとなった。

Mさんが釣った大物のキスが波で逃げそうになり、逃がさまい!と2人で我を忘れて飛びついた。2人で浜辺で寝ていたら、真夜中に嵐に見舞われて、横風と雷で死にそうな思いをした。「いまいち人間と話している感覚がしない」とMさんに伝えたら、そこからみるみる体温のある会話に変化していった。とむの家で定番メニューになっている「とむ特製トマト鍋」はやっぱりうまくて、野菜の旨味が溶けたトマト汁と、ホクホクのポテトに2人で興奮した。

 

彼を送り帰した今、私は自由を感じている。この自由は、一人になったことで感じる種の自由ではなく、生身の人間と会話を交わした後に得られる、あらゆる感情のしがらみが温かさによって溶かされた後に得られるような、愛に近い自由だと思う。

とむの家に人を迎えるにあたって、1つだけルールを設けた。

それは「今この瞬間、感じていることそのまま世界に解き放つ場にする」ということ。「そのまま」というのが想像以上に曲者だったりする。例えば、話すことにしても、普段から気を付けていないと、すぐに格好いい言葉や、便利な言葉に頼ってしまう。僕もそう。

 

ちょうど、とむの家に来たいというMさんから、連絡をいただいとき、文末に「よろしくお願いします!」と書かれていたので、「何をよろしくお願いするのだろう?」と疑問に思って、「何をよろしくお願いするのですか?」みたいなことを伝えた。それに対し、Mさんは「お世話になります」という意味で送ったということを伝えてくれた。それなら「よろしくお願いします」など堅苦しい言い回しなどやめて、そのまま「お世話になります」と伝えたらいいのではないかと思った。

 

そのことを、お会いして会話を重ねる中で、Mさんと共感した。自分が何気なく使っている便利な言葉を、一度、自分の胸の内で、別の最適な言葉に置き換えられないか静かにじっくりと再スキャンして、「自分の言葉」として世界に放つことができたら、きっといい時間になるよね、と。

 

そんな中「とむさんが元気になられてよかったです」とMさんが言うので、「よかったですって言葉、つまらなくないですか?(笑)」とすかさずジャブを入れて、一緒に別の言葉を探すことを提案した。結果、Mさんの「よかったです」という言葉は「安心しました」に変わった。全然別物じゃん!(笑)と2人で笑いながら、安心しましたと言われた方がずっと心を感じられるなと思った。

 

極めつけは、「うらやましい」という彼の言葉だった。

私がブログで1000日間毎日投稿を始めたことを伝えると、彼は自分が心で感じていることをしばらく模索した後、「うらやましい」という感情を抱いていることを明らかにした。Mさんの「うらやましい」という言葉に対して、実はMさん自身がやってみることに憧れているような気がしたから、

「本当はうらやましいんじゃなくって、やりたいんじゃないですか?」ともう一度ジャブを入れた。その瞬間、Mさんは気づいていたけれど、気づこうとしなかった何かを一瞬見つけたような、ハッとした表情をした。

この感情をさらに掘り進めていくと、彼は何もなくて苦しかった時期に、自分の感情のそのままを、文章や、話すことで、外に向けて発信していたことを教えてくれた。当時残した記録を今振り返ると、自分の人生の歴史を感じて、感慨深い気持ちになるのだという。

 

今は身の回りの家族や恋人、友人との幸せな時間を大切にしていて幸せを感じているが、同時に、代わり映えのない毎日に感情が動かず、本当にこのままでよいのか?という疑問を抱えているという。

幸せの話を聞かせていただいた後、置き去りになっている未練に対し、「Mさん自身が犠牲になっていませんか?」と疑問をそのままぶつけてみた。

「犠牲になっているかもしれない」とMさんは答え、「とむの家に来たのは、感情豊かに生きる感覚を、もう一度思い出したかったから」ということを改めて教えてくれた。

「じゃあ、感情を動かしたくなったら、またとむの家に来てください」とMさんとの会話は着地を迎えたものの、本当にこれでよかったのかなって今は少し思っている。

僕は自然の中で暮らしているから、これまでに来た人は例外なく、満足している。しかし「満足した」と言われても、あまり嬉しくない。「満足した」は幸せな響きを放っているように見えるけれど、所詮は想像や想定の範囲内の体験で心が満たされたときに使われる言葉だ。

想像や想定を超えていきたいと思う。満足したと言われると、この程度で満足しないでください!と言いたくなる。想像や想定を超えた先には、未知の体験があって、そこにはぐちゃぐちゃな感情や、叫びや悲鳴や、後から振り返ると爆笑しちゃうような笑い話だったり、死ぬまで残り続けるような記憶がある。

そこを目指したい。満たすよりも、刻みたい。「こんなところで満足せず、まだまだこの先を一緒に見に行こうよ!」と誘いたい。

 

自分の内から見つけた言葉は、体温がある。体温がある言葉を交わすと元気になるね。

浜辺で寝てたら、大嵐に見舞われたお話とかは、また後日書きます!Mさんと交わした体温あるやり取りでした!

今日はこの辺りで!じゃ、また明日!ばいばい!

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森の中に瞑想小屋を建て、家を開放するのが直近にやりたいことです。

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