未来の自分はいつも応援してくれている[102/1000]

岐阜は笠置山。山ごもり生活2日目は、寂しさと共に始まった。

空を見上げると、陽は既に顔を出しているようで、木々の間にほんのり焼けた鱗雲が見える。今日は晴れてくれそうでよかった。雨が降れば、2日目にして手元の電気が尽きてしまうところだった。電気がなくなれば、ブログが書けなくなる。それはなんとしても回避したいと思っていたが、この執着が電気をなくすことに、必要以上の恐れを生んでいることを、もう一人の私は静かに気づいている。

 

20分ほど歩き、近くの展望台に向かうことにした。自然に長いこといるからか、いつしか地球は私の味方をしてくれると思うようになり、必要なときに必要な景色を見せてくれるのだと信じるようになった。寂しさを抱えている今日も、地球は私の味方をして、きっといい景色を見せてくれる。

同時に地球への信頼が、「死ぬときは死ぬ」という考えを自分に受け入れさせてくれている。展望台からは、綺麗な雲海が広がっていた。

精神修養 #11 (2h/34h)

・真剣にやる。本気でやる。この心構えがあるとないでは、呼吸に集中していられる時間がかなり変わる。

・「これから何をしよう」という思考が延々と浮かんで、気を抜いていないつもりでも「そうだ、あれをしよう!」みたいな思考にあちこち連れ去られる。足りないのは、意志だろうか、それとも技術だろうか。

・長いときでは15~20秒くらい、呼吸に意識を置いておけるようになった。始めたころは、3秒集中するのもやっとだったことを考えると、集中力は確実についている。

 

・夜の山。虫の鳴き声が小さくするだけで、他には音も光も一切ない。暗闇に溶け込むように、呼吸がゆっくり微かになっていた。身体中に酸素が行き渡った証拠。

・終盤はやはり睡魔との戦い。意識がぼんやりするが、このぼんやりとした感じを突き破ることのできるような鋭い意識に磨き上げたい。

・呼吸への集中は大分できるようになってきたので、そろそろ全身の感覚に気づいていくヴィパッサナー瞑想に入ってもいいかもしれない。

 

20代前半の頃に書いた自分の日記を見返していると、当時は「もう一人の自分に守られている」という感覚があったことを思い出している。自分の体内に相棒がいる感覚で、コイツがいるかぎり、何があっても俺は絶対に一人じゃない、何があっても俺は大丈夫だ、という揺るぎない自信を抱えていた。

だからか、勢い任せに色んなとこ突っ込んでは、その都度ケガをして、発狂していることが多かった。「はあああああああああああああ」とか「なんだああああああああああ」とか「んんんんんんんんんんんんんん」とか、ぐちゃぐちゃになった感情を、必死に言葉にしようともがいていた。

ボロボロになっていた自分に、未練を感じているのを見逃さない。

 

今の俺は守ってんなぁと思った。「温かさ」とか「健康」とか大事にしすぎてる。冷たくなっても、身体壊しても、果敢に向かう人間のほうがずっとかっこいい。過去の自分に羨望をおぼえるのは、今の自分に不足感があるからだ。「もっと攻めたい」と感じてるんだろ。

 

10年後、同じように今日という日を振り返るときは来る。2032年9月29日、俺はこのブログを読んでいるぞ。いつも未来の自分の存在を忘れないこと。明日の自分から、今日言葉をもらうんだ。1年後、10年後の自分から、今日言葉をもらうんだ。

夢がないなら、夢がないなりに、頑張ってみろ。心が燃え尽きたなんて大嘘だ。今日も生きてるんだろ。燃やす命は、ちゃんとここにあるんだよ。

 

今日の「楽」は何も残らないけど、今日の「苦しみ」はちゃんと心に刻まれる。苦しんだ分だけ、心に貯金はたまっていくんだ。だから頑張れ。未来の自分はいつも応援してくれている。

【0円で生きていける拠点づくり】

森の中に瞑想小屋を建て、家を開放するのが直近にやりたいことです。

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