やりたいことより、ロマンを感じるほうに道がある[103/1000]

岐阜は笠置山。山ごもり生活3日目。

今日も一本歯の下駄に履いて、20分ほど歩いて展望台へ向かう。一本歯の下駄は、平安時代、山の中で修行をする僧侶が上り下り歩く時に履いていたと
言われていおり、これが由来となって、天狗下駄とよばれている。

 

山の傾斜を一本歯の下駄で歩くのはかなり大変で、15分程度で登れる私の故郷の山も、倍以上の時間がかかる。靴と違ってかかと部分が支えられていないので、傾斜がきついとすぐに脱げてしまうし、歯の部分が木の根に乗っかれば、ツルッと滑ってしまう。

普段は涼しい顔でスイスイ登れる山も、一本歯の下駄を履くと超ハードモードとなり、両手を使わないと登ることすら難しい。

 

この不安定な一本歯の下駄を、山で自由に履きこなせたから、天狗のようだと例えられたのだろう。当たり前にできていたことが、当たり前にできなくなる感覚は新鮮で、下駄で歩くと一歩一歩に丹精を込めるからか、心が整っていくような感触がある。

今朝はすっかり陽が昇っていたが、今日も雲海が見えて、綺麗だった。

精神修養 #12 (2h/36h)

・本当に呼吸だけに集中しているときは、思考やイメージはすべて消える。

・消えたと思っても次の思考やイメージがわいてきて、気づけば思考の上で呼吸をしているような状態になる。まだ集中の練度が低い。

・本当に集中できているときは、思考やイメージがなくなることを知れたおかげで、呼吸に帰ってきやすくなった。

・体感では1時間のうちに、300くらい思考やイメージが湧き出ている感覚。実際は気づいていないだけで1000とか10000くらい生まれているのかもしれないけど。

・日常ではこんなすぐに消えてしまうような思考やイメージに憑りつかれ、振り回されているのだと思うと、やはり恐ろしい。

 

・朝の瞑想で掴んだ感覚で、呼吸の上にとどまっていやすくなった。

・心(脳)は過去に五感を通して体験したことを、無限に思い出す。想起することは脈絡がないので夢のよう。

・瞑想はまるで、現実と夢を行ったり来たりしているよう。ここにある呼吸が現実、心が生み出しているものが夢。

・「大草原の小さな家」という私が大好きなドラマの、とある人が亡くなった悲しいワンシーンが脳内で再生された。切ない音楽も一緒に流れていた。現実の呼吸に戻ると、音楽も消える。思考やイメージと一緒に、心は音も作り出している。

・現実は静か。呼吸の音と虫の鳴き声があるだけ。

・思考やイメージ、音が発生する瞬間と消えていく瞬間を、はっきりと捉えたい。さらに集中力をあげる。

 

やりたいことなんて最初からなかった。あるのはロマンだけだった。やりたいことをやる人生もいいかもしれないが、ロマンの詰まった人生を私は選びたい。やりたいことは探さなくてもいい。やらなくてもいい。その代わり、ロマンを感じることからは目を逸らさない。ロマンを感じるほうへ進んでいく。

 

今日笑って死ねるか?と問うてみると、心に一番に浮かんだことは山の中に小屋をたてて住むことだった。けど、同時に不思議だと思った。私は今、山ごもりをしている。仮に山に小屋を建てたとしても、今日過ごす1日と、中身は大きく変わらない気がするのだ。

山を歩いて、瞑想して、言葉を綴って、本を読んで、仕事をして、質素な食事をして、珈琲を飲んで、真っ暗な夜の森で孤独と1つになって…。もちろん、暮らすとなれば、もっと地に根付いた体験が生まれる。しかし、行為だけを見れば、既に形になっていることも多い。

 

それでも、今日笑って死ねるか?と問うと、山の中に小屋をたてて住みたいと思った。だからこれは行為の問題ではなく、ロマンの問題なのだと分かった。私は自分の手で、山に小屋を建てることにロマンを感じている。

「やりたいことをやる」という言葉で片付けるのは少し違う。ロマンがあることは、やりたいこととは限らない。やりたくなくても、ロマンを感じることもある。でもやりたくないときでも、ロマンに進むときは感情が動く。死ねるか?と問うときに命が欲している感情がここにある。

 

ということで、山探しに、本腰をいれる。遅くとも年内には、目途を立てたい!

やりたいことより、ロマンを感じるほうに道がある!

【0円で生きていける拠点づくり】

森の中に瞑想小屋を建て、家を開放するのが直近にやりたいことです。

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