凝固した感情を突き破り流体となれ。[397/1000]

狂うほど何かに熱中することほど、生き心地をおぼえることはない。肉体から遊離するほど、我を忘れ宇宙と一体となるのである。

そんなとき、体内では宇宙エネルギーがものすごい速さで流れている。これを「高次元状態」と言おう。高次元状態では、肉体を置いてきぼりにし、精神のままに地上に存在することを経験するのだ。つまり、肉体の不自由さから解放されるのである。

高次元状態は、自分が宇宙エネルギーの”流れそのもの”になることを言う。自分が流れになるのだから、凝固した感情があれば、流れになることはできない。凝固した感情とは、不安や恐怖、心配といった、肉体から発せられるものである。こうした感情が多く抱えるほど、流れは凝固する。

逆にいえば、この凝固した感情を突き破れば、自分は流れの一部となり、気づいたら楽しいとも自覚されないほど、楽しくてどうしようもなくなるのである。

 

 

森の家づくりがはじまった。なにもかもすべてが初めてである。初めてのことを行うとき、「ほんとうにこれでいいのか」とつい正解を求めて、不安が生じる。しかし、なんとかなるだろうの精神でやってみると、気づいたらそれっぽい形になっている。凝固した不安は一つずつ流体となり、宇宙エネルギーの流れはどんどん強まっていく。昨日は、日暮れのためにしぶしぶ作業を中断したが、できることなら意識がぶっ飛ぶまで作業をつづけていたかった。

 

似たような経験を、ピアノをはじめたときもした。鬱のときに思い切って憧れのピアノをはじめた。いちばん最初にとりかかった曲は、ショパンのノクターン9-2だった。楽譜は読めないが、一つずつ鍵盤の押すところをおぼえた。基礎練習もぶっとばし、ただ憧れだけに向かって練習した。音を一つ、また一つと獲得するのに夢中になり、毎朝3時に起きて、憑りつかれたようにノクターンを弾いた。そして、気づけば1ヵ月後にはひととおり弾けるようになっていたのである。

 

葉隠の言葉に、本気にては大業ならず気違いになりて死狂いするまでなり、という言葉がある。この崇高な言葉を前にすると、まだまだ私の精神など狂気の域には足元にも及ばないようでたいへん畏れ多くなる。しかし、本当に遠くからであるが、その気違いな高次元状態の、尻尾を見ることができたような気もするのである。

その道は、いたって簡単である。憧れだけをひたすらみつけて、おそれることなく、心配することもなく、ただ突き進んでいくことである。それを繰り返すうちに、きっと自己は流体に近づき、肉体の不自由さからもかぎりなく解放されるかもしれないと思うのである。その境地を想像するとき、自由の風が吹きつけてくるようである。

さあ、今日も陽が昇る。凝固することなく、流体となれ。

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