まっとうな生活から堕ちていく旅人[590/1000]

それにしても、旅人の相手をしてくれるのは老人と子供だけだな、とベンチに坐ったまま私は思った。観光客を相手の商売をしている人たちを除けば、いつでも、どこでも、私たち旅人の相手をしてくれるのは老人と子供なのだ。しかし、それを悲しがってはならないことはよくわかっている。なぜなら、まっとうな仕事をしている大人たちに、昼の日中から旅人を構っている暇などあるはずがなかったからだ。

沢木耕太郎「深夜特急6」

 

言葉にしてはならないと思っていることを、言葉にしてくれる人間に出会うと、一つの赦しを得る。”まっとうな仕事”や、”まっとうな暮らし”をしていないことに対する旅人の焦燥を、沢木耕太郎さんは旅の最中に感じていた。

齢30になる私もまた、フーテンに生きてしまっている人間である。まっとうな職歴といえば、6年前に教員をしていた3ヵ月に満たないものが最後であるし、妻帯もなければ、社会から離れた隠遁生活に幸福を感じてしまうダメな人間である。

 

まっとうな仕事をしなくてはとずっと思っている。だが、旅の放縦に慣れ親しみすぎれば、今の自分にまっとうな仕事や生き方というものができるものか分からなくなってくる。定められた職に就き、仕事と家庭の責任を帯び、毎日の生活を築き上げていく人間の尊さに向かわぬまま、放縦は放縦のままどこまでも流れていく。

 

日本のあちこちで野営していたとき、翌朝、学校に通学する子供たちや、会社へと向かう背広を着た大人たちの光景が新鮮だった。当たり前であるけれど、全国どこに行っても、ちゃんとした”生活”が営まれている。田舎の学校に通った私は、同じ日本でも喧騒な街中を通学する子供たちは、まったく異国の存在に思われた。小学校6年間と中学校3年間の、あわせて9年間の感性豊かな時期を、田畑の間を縫うように通学する子供たちと、夜のお店が並ぶ街並みを歩く子供たちとでは、根底に養われる感覚に埋められない隔たりがあるように思われた。

 

20代のはじめの頃までは、そうした社会生活を眺めるのもおもしろかった。生活から解放された旅人という無責任な立場に、傲慢にも優越感をおぼえたことすらあった。たしかに、生活に不満を垂らしながら、生活を抜け出す力を持たず、生活を強いられている多数のサラリーマンには疑問を持つこともあった。

だが、責任を逃れた旅人とは、ただ宙に浮いた存在であり、何も威張れるものではないのである。最初は、宙に浮かぶ感覚が心地よくとも、地に足を着けることを忘れてしまえば、そこに一抹の不安は生れるものだ。いつかはまっとうな生活を送りたいと願うも、次第にまっとうな生活を築き上げていく力が失われていく。心が整列することを忘れる。規律正しく労働することを忘れる。ここに焦燥がある。

 

長年、放縦に生きてしまっている私に、今からまっとうな生活を築くことができるだろうか。旅人としてまっとうなものから外れてしまっていた沢木さんは、旅を終えて、まっとうな暮らしに戻っていけたのだろうか。いまの私にはまっとうな生活がずっと遠くのものに思われる。このままではダメだと分かっている。このままでいいと、堕ちた言葉で放縦を肯定したくはない。地に足を着けぬまま歳を重ね、何も生活を築くことがないまま、価値もなく死んでいくのは虚しすぎる。だが、どうすればよいものか。できることなら、とっくに働いている。このどうしようもない堕した弱さは、どこに向ければよいというのだ。

 

2024.1.31

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