美しい魂の誕生を神は待っている②[589/1000]

歴史上、政治とは要するに、パンを与えるいろんな方策だったが、宗教家にまさる政治家の知恵は、人間はパンだけで生きるものだという認識だった。この認識は甚だ基調で、どんなに宗教家たちが喚き立てようと、人間はこの生物学的認識の上にどっかと腰を据え、健全で明快な各種の政治学を組み立てたのだ。

さて、あなたは、こんな単純な人間の生存の条件にはっきり直面し、一たびパンだけで生きうるということを知ってしまった時の人間の絶望について、考えてみたことがありますか?それは多分、人類で最初に自殺を企てた男だろうと思う。何か悲しいことがあって、彼は明日自殺しようとした。今日、彼は気が進まぬながらパンを喰べた。彼は思いあぐねて自殺を明後日に延期した。明日、彼は又、気が進まぬながらパンを喰べた。自殺は一日のばしに延ばされ、そのたびに彼はパンを喰べた。……或る日、彼は突然、自分がただパンだけで、純粋にパンだけで、目的も意味もない人生を生きえていることを発見する。

三島由紀夫「美しい星」

 

来る日も来る日もパンを食えば、生活は繰り返される。今日に何かしらの不満があっても、パンを食えば次の日も同じように生きてしまうのだから、生活自体が強化されるのである。ゆえに、不満は不満のまま鬱積し、パンとともに生活のなかに閉じこめられていく。この不満だけに、生活の出口を残しているように思われながら、この出口へと足を向けることは、生活自体を壊さないかぎりかなわないのである。なぜならパンを食うことと同じように、不満を抱えることそれ自体が、生活を強化するからだ。

自分で生活を壊す力を失った人間は、生活を破壊してくれる天変地異をひそかに夢見る。その行く果ては、不謹慎ではあるが、秩序を破壊するほどの自然災害だ。世界の終末すら、生活から自分を救い出す唯一の希望にうつる。空から隕石が落ちて家が破壊されれば、悲しみに涙はこぼれようが、鳥かごの呪縛からは解き放たれるのだ。

生活に摩耗し昏睡した魂の絶望的な叫びである。だが、どうして魂は昏睡へと向かうのだ。眠りを欲するほどの生の苦しみとは、いったいなんだ。どうして生きていることを忘れたがるのだ。神はその意志で人間を創造したというのに。

 

だが、ここについては昨日も同じ問いを己に課した。神は美しい魂の誕生を待っているのだと。だが、そんな希望も私は心から持てているわけではない。ベートーヴェンを超える芸術家が今日現れるだろうか。私の無力の根は、ここを発している。強大な物質文明を前にして、パンに満ちた世界を前にして、魂は絶えず堕ちつづける重力に打ちのめされている。気を許せば、どこまでも堕ちていく。この原罪とどう向き合って生きたらよいのだろう。

石ころをパンに変えてみろと悪魔に誘惑されたイエスは「人はパンのみに生くるにあらず」と言った。この強さを持てたらと願う。そのために祈ることは赦されようか。魂を眠らせずにはいられない弱さと、眠りのうちに魂をすり減らさずにはいられない弱さから、己の人間を守るために。

魂の賦活と救済に立ち向かう、勇気を与えたまえ。己の無力を退け、人間の力を取り戻せ。

 

2024.1.30

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