人と感動し共振できた瞬間を、私たちは死ぬまで忘れない。[17/1000]

新潟の柿崎の海を拠点に、「とむの家」の活動を再開した。

自分が良いと感じるものを、誰かと分かち合いたいみたいな気持ちがずっとある。美味いものがあったら食べてほしい。美しい景色に気づいていなければ、見てごらんよと言いたい。面倒くさいからとやる前から決めつけちゃうなら、楽しいからやってみようよと誘いたい。

自分が震える体験は貴重だと思う。しかし、誰かと震える体験はもっと貴重だ。自分が良いと感じたものを、人と分かち合いたい。人が良いと感じたことを体験したい。もし感動を分かち合えて、同じ周波数で共振しあえたら、人は1つになる。私たちはそんな体験を、死ぬまで忘れない。

300円分の餌で、キスを20匹釣るという目標は、呆気なく達成されてしまった。私は昨日、キスを21匹釣った。エサは前日の余りを使ったので、前日分の4匹もあわせると25匹釣ったことになる。キス1匹辺り12円で釣れた計算だ。

初日2匹、2日目3匹、3日目4匹…..ときて4日目21匹である。このペースでいけば、あと一週間はかかりそうだと思っていた。自分の期待を見事に裏切った。

 

釣れた理由は何か?と考えた。師匠の「キス釣りは牛歩のように」という言いつけを守ったこともある。餌のつけ方も言われたとおりにやった。しかしこれらの教え以上に、釣りの全体像を捉えられたことが大きかった。釣り竿はどんな仕組みになっているのか、餌や錘(なまり)は海中でどのように動いているか、キスはどの海層にいるのか、なぜ餌に食いつくのか、そういった疑問が3日間の経験と対話の中で少しずつ明らかになっていった。

全体像が見えると、動作に一貫性が生まれた。糸を巻きすぎることも、緩ませすぎることもなくなった。それにより餌付けのスピードが格段に上がった。糸も一切絡まなかった。魚を釣って、針を外し、餌をつけて、また次の魚を釣るまでの動作をリズム良くできるようになっていた。

 

21匹釣ったことを師匠に報告すると、手放しに喜んでくれた。これで入門者から初心者くらいにはなれたかもしれない。師匠には「20匹釣るまで、柿崎を離れない」と宣言していた。そんな宣言から僅か2日後、私はいつでも柿崎を離れられるようになった。

隣で釣りをしていた見知らぬ爺が、「釣ったキスは食べずに捨てる」というので、「それなら私が責任をもってそいつらの命をいただく」と言って、9匹のキスを貰った。晩飯がキス21匹から30匹になった。

正直に言おう。調理は苦痛だった。まとめて水洗いした後は、1匹ずつ鱗を落としていく。頭を落としたら、内臓を取り出し、中骨に沿って包丁をあて、右身と左身を切り離す。この三枚おろしを30匹分行う。

三枚おろしにそもそも慣れていないので、身が少し中骨に残ってしまう。できることならちゃんと食べてやりたいが、キスは身体がそもそも小さく、中途半端に残ってしまったものは、切り落としてもクズにしかならない。綺麗に食べてやらないと、魚に申し訳ない。

 

切り落としたキスの頭がずらりと並ぶ。そんな光景を見ると、心が痛んだ。私は30匹のキスの命を頂こうとしている。果たして、今日を生きるためにこれらの命をいただく必要は本当にあるのだろうか。思えば、釣りも残酷だ。針が口に刺さった魚は痛そうだ。針を飲み込んでしまったら、エラに指を突っ込んで、内臓を押し出すようにして針を抜かなければならない。餌に使う青イソメも、使う長さの分だけに切断すると、痛そうにクネクネともがく。

キスを調理しながら、そんな一連の体験の痛みが一気に思い出されて苦しくなった。生々しさが気持ち悪いとか、虫が気持ち悪いとか言っていられない。魚臭いとかも言ってられない。そこには痛みがある。痛みの先で生きようとする命を頂こうとしている。これまで手を汚すことは、知らない誰かに委ねてきた。だが、ここでは自分の手で行わなければならない。だから真剣になる。命を頂こうとするのなら、この痛みから目を背けちゃいけない。

キス30匹分の刺身は、中々のご馳走だった。この日の食事は、この晩飯だけだったので、飽きることもなく、最後まで美味しく頂けた。美味しく最後まで食べることは成仏になる。魚を食べたいと思うなら、私にできることは、それしかない。だが、やっぱり少し多かった。

身は淡泊で甘い。脂もほどよく乗っていた。それとは別に、海の味もした。一部、鱗を落としきれていなかったのか、ザラついた食感もあった。その食感でピチピチと手の中で暴れるキスを思い出した。中骨が完全に取り切れていない部分もあったが、それでも刺身は美味かった。

これを米と一緒に食べれたらもっと美味しく頂けたに違いない。お酒は飲めないが、日本酒も飲めたらもっと感動できただろう。

 

日に日に海との距離が近くなっていくのが分かる。つい一週間前まで海に憧れていた自分が、気づけばその憧れを形にできている。とても不思議な感覚だけれど心地よい。


キス20匹釣ったのですが、「とむの家」を開いた以上、柿崎に人を呼ぶまで、ここを離れたくないみたいな気持ちになってます!

なので海を感じたい人、キスを食べたい人、心ある会話がしたい人などなど、、、いきたい!って思った方は、ぜひご連絡ください!

>>【とむの家開放】自然と生身の人間にぶつかりたい貴方をお待ちしています!

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