虚無主義とは③―澄みわたる空の向こう側へ[841/1000]

学校における、子どもの高貴とは何だ。先生に言われたことに素直に従うことか。不平不満を垂らしながら反発することか。世界の不条理に直面したとき、愚痴をこぼしたくなるのは大人になっても同じだ。だが、表面上は真っすぐ従いながらも、沈黙のうちに反抗と情熱の炎を燃やし、死に向かって突き進むことができたら、その姿は人から見て、とても美しいにちがいない。

 

反抗が表層にあらわれるとき、愚痴や文句や言い訳となる。これは”生きる”に働いた結果である。そのすべてがみっともないのは、行動の結末に死を迎えることができなかったからだ。悔しく、屈辱的な気持ちを、その場かぎりで発散させるのはもったいない。おれたちの存在本質は力である。食って寝て、力を蓄えている。不条理に直面したときは、思いがけないエネルギーを収穫したと思うことだ。堪えて、凝縮させ、死に向かい爆発させる。

 

死に場を持たぬ者は、溜めこんだエネルギーを暴発させ、身体を壊す。エネルギーを発散すれば放埓に流れる。死に場所を与えてくれるものに恩を感じる。子どもには優しい先生ほど好かれるが、一生を通じて感謝されるのは厳しく叱ってくれる教師である。前者の行動の結末は生であるが、後者は死である。叩かれ、叩かれ、己を死なせた時間は苦しい。だが、そうして過ごした時間の価値は、自分がいちばんよく知っている。

遠く、遠くを見つめること。澄みわたる空の向こう側へ、生活を乗り越えていく。

 

2024.10.8