俺たちはもっと太陽を信じてもいいのではないだろうか。[779/1000]

夏だ。汗を滝のように流しながら畑仕事をしている。水がうまい。だが、日頃から常温水しか飲まないので、最近は太陽に熱されたお湯を飲まざるをえなくなった。お湯もうまい。氷できんきんに冷えたものを飲むよりは、自然に温められたお湯のほうが私には飲みやすい。

畑から畑に移動するとき、軽トラの荷台に乗る。法的に怪しいが、村だと許される雰囲気がある。荷台に乗りながら、青空の下に広がる、のどかな田園風景を眺める。太陽は熱いが、汗ばんだ身体に吹きつける風がなんとも気持ちよく、畑仲間と最高だなと談笑する。道の整備もそこそこなので、車がよく跳ねてケツを打つ。だが、そんなこともどうだってよくなる。肉体第一、安全第一になると、真っ先に失われるのは野性だ。村には最後の野性が残っている。愛されるべき人間の素朴である。

 

昼になると、早朝握った玄米のおにぎりを二つ食べる。具はないが、塩をしっかり振っている。汗を大量に流しているので、これがよく身体に利く。言わずもがな、日本人の精神たる玄米は心も身体も元気にする。

夕、仕事を終えると、有難いことに野菜がもらえる。冷えたきゅうりに塩をふって、豪快に丸かじりする。きゅうりは95%が水でできており、身体にたまった熱を放出する力がある。日中、太陽に当てられ、汗をよくかいた人間には、二本でも三本でも、勢いよく身体に吸収されていく。季節の野菜は身体にいいと言うが、きゅうりは夏の野菜のなかでも、汗くさい労働者に特に愛されたにちがいない。

 

こんな生活をしていると、身体は自ずと強くなる。野性と生命力が底上げされていく。無論、健康の本質は生命力だ。生命力が高まれば、俺たちは元気になるのだし、生命力が弱まれば、菌に負けて病気となる。昨今、少し気温があがるだけで、熱中症、熱中症と騒がれる。だが、あまりに過敏になりすぎては、かえって生命力を弱めているのではないかと思えてくる。幸福に侵され、科学までもが女々しくなる。精神論だと笑われようが、俺たちはもっと太陽を信じてもいいのではないだろうか。これは亡霊として年月を過ごした、私の真なる願望である。

 

2024.8.7

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