自己救済と生命燃焼について[296/1000]

「自己救済」「生命燃焼」「堕落美」という言葉を度々使っているけれど、正直なところ私自身も、これらの言葉を完全に理解しているわけではなく、明確な定義もない。

悪魔に奪われた魂を取り戻すことを、自己救済と言っているし、社会の惰性的な回転の中で、徐々に死んでいく生命を救い出すことを自己救済とも言う。だから自己救済は、回転の中の安定した生活や、幸せな生活にあるのではなく、回転の外にある生命の美しさと、生命の燃焼を要求する。回転の外に弾かれることは堕落を意味して、力なき生命の絶望に一度は打ちひしがれるものかもしれない。人によってはここで死にたくなる。私もそうだった。しかしこれは、生々しい生命を初めて実感できた証でもある。そういう意味で、堕落は生命の始まりと、生命の苦痛で、ここから蘇り、再び生命を回転にぶつけていく。弾かれたまま、社会から孤立して生きることもできるけれど、私は生命は、いずれ戦わなきゃならない宿命にあると思っている。

 

坂口安吾の「堕落論」を毎日のように引用しているけれど、今日もまた引用したい。

米人達は終戦直後の日本人は虚脱し放心していると言ったが、爆撃直後の罹災者達の行進は虚脱や放心と種類の違った驚くべき充満と重量をもつ無心であり、素直な運命の子供であった。笑っているのは常に十五六、十六七の娘達であった。彼女達の笑顔は 爽やかだった。焼跡をほじくりかえして焼けたバケツへ掘りだした瀬戸物を入れていたり、わずかばかりの荷物の張番をして路上に日向ぼっこをしていたり、この年頃の娘達は未来の夢でいっぱいで現実などは苦にならないのであろうか、それとも高い虚栄心のためであろうか。私は焼野原に娘達の笑顔を探すのがたのしみであった。

坂口安吾「堕落論」

 

惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。私は考える必要がなかった。そこには美しいものがあるばかりで、人間がなかったからだ。実際、泥棒すらもいなかった。近頃の東京は暗いというが、戦争中は真の闇で、そのくせどんな深夜でもオイハギなどの心配はなく、暗闇の深夜を歩き、戸締なしで眠っていたのだ。戦争中の日本は噓のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。それは人間の真実の美しさではない。そしてもし我々が考えることを忘れるなら、これほど気楽なそして壮観な見世物はないだろう。たとえ爆弾の絶えざる恐怖があるにしても、考えることがない限り、人は常に気楽であり、ただ惚れ惚れと見とれておけばよかったのだ。

坂口安吾「堕落論」

 

東京への爆撃によって、社会そのものが破壊され、回転も粉々となった。生き残る人間は、強制的に”回転の外”を体験したのだと思う。社会から生命が解放され、社会に付随するような悪とも無縁の境地を味わった。だから、どこか遠い小さな田舎村のように、戸締りをせずとも眠ることができた。これが大都会の東京で実現した。坂口安吾が感じたこの美しさは、生命のありのままの美しさだったのではと想像する。

戦後、焼け野原の日本は驚くべき速さで立ち直っていったというけれど、私はここに生命の力を感じる。回転の外を体験し、生命を救済したからこそ、この生命力をもって、強く蘇ることができたのではないだろうか。多くの家族や大切な人を失った当時の人間は、宇宙に実在する己の生命を、現世のものとしてではなく、永遠に生きる尊く、雄々しい存在して捉えたと想像する。

生命を文明から救い出すことを、自己救済と言ったが、戦争のように不幸な形で起こるものだとしたら、救済などされなくてもいいのではと考える自分もいる。社会の回転から生じる安定して惰性的な生活に疑問を持つなら、救済すればいいと思う。もっとも、自分の意志でどうこうするものではなく、運命として起こるものかもしれない。

耐えられなくなった人間から、必然と回転の外に弾かれる。こうした人間を私は森に誘(いざな)いたい。

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