草枕月記-くさまくらつき-とは。もらとりずむを終えて[232/1000]

生きているだけで、どこか間違っている気がする。

皆が生きたがっている世界で、私だけが死に場所を探しているようだった。

 

私は二十代の大半を家を持たずに過ごした。

どこにも見つからない死に場所を、寒空の下に求めていたのだろう。

 

野宿をしながら稼いだ金で、海の向こう側の荒々しい砂漠に憧れた。

人はなぜ生きるのかを問いながら、その内実は、なぜ人は死なずにいるのかを見つめていたように思う。

 

草枕月記は、放浪の果てになお生きてしまった人間の記録である。

 

絶望から目を背け、人生に明るい意味を与えることはしない。

この世の虚ろに呑まれ、悲観に沈むすることもない。

 

安易な飛躍はしない。

私はただ、ここにある人間の手綱を固く握りしめ、眼前に屹立する生に対し、しぶとく反抗を貫くのみである。

 

「もらとりずむ」を終えて

私は二十三のとき、「もらとりずむ」というブログにて執筆をはじめた。

もらとりずむは、モラトリアムの只中にある、やりたいことの分からぬ青年が、己の生をどう扱うかを問うたものだった。

 

二十三の私は、教育の道に信念を見出し、全ての内定を断ち新たに大学に通い直していた。自分の情熱がわくことや、やりたいことを仕事にすることが人間の幸福に繋がる――その思想を疑うことはなかった。魂が失われ、自己の本源が分からなくなる時世だったからこそ、その救済を自己を問うことの内に見つけようと、”もらとりずむ”は生まれた。

 

しかし、2年間の追加教育を終え教師となったものの、ほんの数ヵ月で体を壊し辞職することになる。心の領域において最も脆弱な「純」、それは深奥に秘められるものであって、さらけ出されるものではないという成熟した教訓を、私の若い情熱はまだ知らなかった。

 

 

ここから長い凋落がはじまる。間借りする金がないわけでもなかったが、荒さんだ心は『家を持たずに生活しろ』と私に告げた。これは乱暴に要約すれば”死ね”ということだった。それも武士の切腹のような潔いやつではない。「お前に生きている価値などないのだから死んでしまえ」という、虚無の暴露に他ならなかった。

 

既に、ヒューマニズムの限界を言葉にしたところだが、情は不幸を見据えていてもなお直進するものだ。

私はスーパーカブにテントと寝袋をくくりつけ、野宿生活を始めた。氷点下の八ヶ岳で生活しながら、近くのホテルへ皿洗いの仕事に出かける。朝の五時から夜の十時まで皿を洗い、仕事が終われば草を枕に眠りにつく。淋しい夜は月と語った。精神は完全な病に蝕まれながら、なお健全であろうともがき続けていた。堕ちるか堕ちぬか、そのぎりぎりの戦いに孤独の鎧を纏った。

 

野良犬のような暮らしは数年つづいた。ここに一縷の希望を繋ぐこともできたのも、金を貯めて世界を旅すれば、きっとそこに救いがあると信じていたからである。否、免れえない凋落を前にその一点にすべてを賭ける他なかった。

 

 

オーストラリア横断の旅がはじまる。西海岸のパースから東海岸のゴールドコーストへ、大海原から立ち昇る朝陽を目指してヒッチハイクで横断するという壮大な計画である。旅の内容についてここでは深く語るまい。ヒッチハイクに苦戦しながらも、圧巻の砂漠を何千キロと駆け抜けた。

 

横断は成功した。朝陽は息を呑むほど美しかった。あれほど神々しい景色には、二度と出会えないだろうと思う。黄金の光に包まれて、そのまま死ねたら幸福だった。否。死ねると信じて旅をしてきたのだ。

しかし陽が昇ったあとも、私はなお”生きた”のだった。金色を失った海岸に、重力に沈んだ肉体だけが一つ取り残された。

 

 

こうして私のヒューマニズムは崩壊を迎えた。生の眼前に屹立したものは、かつて家を捨てたときに”死ね”と一言を放った、あの際限のない虚無。私が死のうが生きようが、まったくの無関心を貫く世界。死を望んでも、なお生きているという不条理な現実だった。

 

ダムが崩壊するように、これまで耐え忍んできた苦しみのすべてが、一瞬にして精神へと押し寄せた。もはや現実を受け止める力は残っていなかった。私は二年に及ぶ衰弱状態となり実家に斃れた。何もかもが意味を失い、私は生きるという動詞を失った。

 

草枕月記 -くさまくらつき-

朝陽が昇ったあとも、なお生きたあの日から、私の心は無気力の根に覆われた。

何をするにも虚しい。この世のありとあらゆるものは、その内実を伴わない張りぼてのようだった。張りぼてが笑っている。あなたも笑ってとお道化ている。私はその姿をみて苦しくなるばかりだった。笑えない人間はどこへ行くのか。

 

こうした厭世観と社会への反抗が、齢三十を前にして私を森へ追いやった。かつて野宿で皿洗いをしていたあの八ヶ岳の麓に自分で家を建てて暮らすことにした。大きさ五畳半くらいの、ちいさな掘っ立て小屋である。すきま風は酷く、内も外も屋根があるという事実しか変わらなかった。

 

それでも、家なく生きてきた私にとっては、雨風をしのぎ、暖をとれることだけでも後生有難いものだった。電気も水道もないこの小屋で、電子機器を一切使わず、文明社会から遠く離れるようにして三ヶ月の隠遁生活をおくることになる。

 

現世のことはすべて放り出した。来る日も来る日も、書物を通じて永遠と対話した。私の問いは常に、「この不条理な世界において人間はいかにして救われるのか」ということだった。それもかつて私に”死ね”と告げた、あの救いようのない虚無に反抗する形でなければならなかった。

 

私は生涯をとおして、この隠遁期間(千日投稿482日目~553日目)に過ごした清冽な日々を、胸に秘めつづけることになるだろうと思う。ここに思索のすべてを連ねることはとても叶わないが、その結晶として綴られた「追憶の魂」という詩をここに紹介させていただきたい。

「追憶の魂」

解放を掲げた戦いは  既に灰塵の上にあり
虚空を捕らえる咆哮を  大砂漠が嘲笑う

黄金が眠る海でさえ  海神は沈黙し
夜山に沈む空身の果てに  涙堕ちれば 堕ちる人生

 

悪意の月光酔い痴れば  故郷の風が頬を撫でる
枯れ萎れた魂よ  野性の鹿血を喉に汲め

諏訪湖に燃ゆる宙核を  巨大な槍となり突き裂け
同情に滅びた神の墓  慟哭する英霊の影

 

虚偽の鎧は銭と朽ち 貉の母啼く森に死す
揺らめく炎 服する書物  幽居 霊薬に満つ

無気力の根は断ち切れた  サタンよ孤独の戦友となれ
悪意の奥底も見極めた  慈愛よ焔を心得よ

砂漠に斃れる旅人の  地に轟く詩となれ

 

血涙 溢るる放浪の  赦されよ 赦さぬを
厭世 泥這い 身は窶れ  幸福 道化に楯を突く

己がなけなし 分別の  胸を叩けよ 草枕
深山幽谷 寂漠を  破るる春が胸を汲む

生死一閃まどろみの  生命を叩く無邪気さよ
ああ美わしき魂よ  『愛と希望を忘れるな』

 

2023年12月15日
内田 知弥

 

振り返ってみれば、青年は自分探しに明け暮れていたのではない。死に場所を求めていたのだと感ずる。それに気づくには、この世はあまりにも眩しすぎる。私はこの苦しみと不条理な世界に反抗する一人の人間である。自己の生命に忠実であろうとする永遠の火である。

その道程を草枕月記に記していくことを、恥を承知でどうかご容赦いただきたい。

 

千日投稿の果てに―死を越えてゆく道―

 

 

連絡先

2 件のコメント

  • 内田様

    草枕月記、1000回達成、まことにおめでとうございます。
    多大な勇気とエネルギーをいただきました。ありがとうございました。
    以前、中村天風と執行草舟についてコメントさせていただいた者です。
    実はこの冬、私も鬱が悪化し、内田様の蔵枕月記もエネルギーが強く、
    読むことがかないませんでした。
    それがこうして目を通し、内田様のつよい思いを受け止めることができるまでに
    回復し、まことに喜ばしく思っております。
    全1000回、一冊の書籍のかたちにされる予定はないのでしょうか。
    大きな救いをいただいた身としては
    そうした機会がありますことを切に願っております。

    荻野

    • 荻野様
      お久しぶりで御座います。冬を越え、こうしてまたお言葉を交わせること、心より嬉しく思います。

      衰弱の中にあり、言葉の力を受けきれないことは私も過去に経験があります。私自身、この千日間も鬱積する感情との戦いでした。自己を戦場に駆り立てるため、身が張り裂けそうになるギリギリの言葉を紡ぐことは少なからずあり、熾烈な表現になってしまったと省みております。

      まさか、書籍を希望してくださるとは…!書き手として、これ以上ないお言葉です。誠におそれながら、恥を忍んで書き綴ったものばかりで、書籍にするほどの値打ちがあるのか今の私には分かりません。ですが、これほど有り難いお言葉は初めてで、分不相応だと弁えながらも、もし機会があればと密かに夢を見させて頂きます。

      どうか、これからの季節、少しでもご自愛のもとお過しください。また折に触れて、お言葉を交わせましたら幸いです。

      内田

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