「もらとりずむ」を終えて「草枕月記」に生くる[232/1000]

「もらとりずむ」というブログ名でかれこれ5年近くやってきたが、この度「草枕月記 -くさまくらつき-」と改号することにした。

私の想いなど、読み手にとっては小さな問題ではあるが、数少ない読者にはこの場を借りて意図を明かしたい。

もらとりずむ

元々、もらとりずむとは、モラトリアムとイズムを掛け合わせた、23歳の私がつくった言葉であった。

モラトリアムは、猶予期間と訳されるが、分かりやすく言えば「自分探し」を指す。イズムとは、主義のことだ。つまり、もらとりずむは、自分探し主義となる。

23歳の私は、教育の道に信念が煥発され、全ての内定を蹴って新たに大学に通い直していた。自分の情熱がわくことや、やりたいことを仕事にすることが、人間の幸せに繋がると信じていた。自分が分からなくなる時世だったからこそ、自分とは何かを問うことを、ブログを通じて言葉にしたいと思い、もらとりずむは生まれた。

 

しかし、2年間の追加教育を終え教員となったものの、わずか2ヵ月で心身の調子を崩し、3ヵ月目には辞職した。もう一度、生き方を見直す必要に迫られた。ここから長い、家なし生活が始まる。友人の家に居候させてもらうこともあれば、車中泊や、テント、寝袋だけで暮らすこともあった。間借りするお金がなかったわけではないが、家にいると自分が腐っていくような感覚があった。自然にさらされていれば、何とかなっていくような気がした。その直感に従った。

孤独の夜は月が癒した。マイナス10度の高原の森に入り浸りながら皿洗いの仕事をした。溜めたお金で捨て身の覚悟で、オーストラリアをヒッチハイク横断した。何かが変わると信じていたが、帰国後には身体はボロボロで、すぐに引きこもり鬱となった。この時の失望は大きく、どん底のどん底まで落ちていった。

オーストラリアを横断後、なぜ鬱となったかはこちらでうまく言葉になっている。【人間の本質はとぎれることのない光である。[385/1000]

 

それから1年半近く引きこもり鬱は続いた。当時はもう駄目かと思ったが、友人に誘ってもらった仕事をきっかけに少しずつ元気になった。もう無茶苦茶に肉体を痛めつけることは止めようと思い、森小屋風に改造した軽バンで暮らすことにした。家にいては人間が駄目になるという直感は、この時も変わらなかった。軽バンで全国の土地を訪れながら、再び生きることの探求を再開した。

 

探究が加速したのは、岩手の遠別岳で5日間山ごもりをしたとき、始めた瞑想がきっかけだった。瞑想は山ごもりの5日間で終える予定だったが、これはやめちゃいけないと直感し、毎日朝と夕、1時間ずつ、1日計2時間瞑想することを自分に課した。これを”精神修養”と題し、日々ブログに経過を記し、現在(2023/2/7)も続いている。

直感は的中し、瞑想が生活規律を整え、思索活動の土台をつくっていった。探求とは、深淵を見つめることであった。深淵を見つめるには表層の雑念を制し、透明にならなければならない。今思えば、自然に身をさらすことにこだわったのも、透明になることに焦がれたからだったように思う。

 

そして、葉隠と出会う。「幸せだけに満ちた世の中は息苦しい」という、あるお方の言葉をきっかけに、生だけではなく死について考えるきっかけを得た。葉隠とは、武士道の中でも純粋な魂を抽出したものである。「武士道というは死ぬことと見つけたり」という一句が有名だ。この言葉の真意を理解できたのは、執行草舟という人物のおかげであった。武士は主の命令によって、自ずから命を捨てることができた。現代の感覚からすれば信じられないが、人間とは本来、自分の命を捨ててでも、尊さのために死を選べる美しい存在であるということだ。

この死に通ずる美学が軸となり、生きることの探求は加速し、全ては魂を貫くという一点に集約されていった。これまで真実だと信じてやまなかった思想は、現代の物質主義から生まれた、まやかしだったと気づかされたのだった。”もらとりずむ”も、その一部であった。

 

これはつまり、肉体の価値を全否定し、魂の価値を信じることである。

戦争に敗れ、武士道を失い、信仰を失った日本人は、自分を大事にすることや、自分を幸せにすることの価値を信じて疑わない。魂の垂直性は失われ、人間は水平的となり、歴史から孤立し、尊厳のために命を投げ捨てられるような、武士のような美しさも失われている。

人間の尊厳は、自己中心性の中ではなく外にある。具体例を言えば、感謝ではなく、恩返しにある。その純粋は武士が切腹したように、尊厳のためならば肉体よりも魂に生きることである。宇宙を覆い尽くす、自然の法、宇宙霊、宇宙エネルギー、魂、暗黒流体、つまり愛や友情といったものは、自分の外側にあり、これらを自己の魂に一体化させる過程を修身・修養と呼ぶ。修身は、現代の自分中心的な思想と、対にあるものである。美しさのためであれば、自分が損をすることも不幸になることも厭わないことである。大切なもののために命を奉げる仕合せに生きることである。

私自身、現在、修身と探求の真っ最中である。自分探し主義はまやかしだと言ったが、探求する一心だけは本物であった。それがこうして偉大な魂と出会うことの実を結んだのだろう。

 

草枕月記 -くさまくらつき-

人間の美学に生きることを誓い、修身と探求の思想拠点となるこのブログを「草枕月記 -くさまくらつき-」と号することにした。

これは、草枕と月と日記を掛け合わせた造語である。草枕は、旅にかかる枕詞を指す。昔の人が旅の途中、草を編んで枕にしたことから、草枕という言葉は生まれた。月は恋を意味し、日記は詩の心を意味する。

20代の半分を家なく過ごし、涙したことを思うと、草枕という言葉は私に合っていた。孤独の夜、胸が張り裂けそうな中、月と語り合った晩は今でも心に深く刻まれる。稚拙で乱暴ながら言葉も多く綴った。これら3つを合わせ、ここに辿り着くまでの旅の魂を総称して、「草枕月記 -くさまくらつき-」と称することにした。これから、武士道という日本の人間美学を貫ぬかんとする誓いを込めて、和の言葉を採用した。

 

何者でもない小さな人間ながら、引きつづき、修身と探求の過程をここに記していく。未熟で稚拙なことは百も承知で、恥を忍んで書いている。ゆえに、成熟した答えを求めようとする人間には、このブログは合わないだろう。魂の価値を信じ、探求する心意気のある方に読んでいただけると、とても光栄である。

歩みは始まったばかりである。せっかく人間に生まれたのだから、この尊厳を重んじ、人間として恥じないように生き、人間として恥じないように死んでいこう。

 

森の家にすむ[2023.7 追記]

20代の家なし生活に終止符を打つべく、八ヶ岳の麓にある森の中で家づくりをはじめた。森の家に住むことは、家なし生活をはじめた当初に夢にみたことだった。それが5年越しに形になりつつある。

もちろんこの森に願うことは「魂の救済」と「生命燃焼」である。便利と快適、安心安全の社会から距離を置くことで生命の輪郭を鷲づかみにし、そのまま死の果てまで突っ走っていけるような、そんな生き方を願うのである。

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