インドからの手紙【インド紀行⑦】[622/1000]

僕は今、インドの首都、デリーという街にいます。道路は車でびっしり詰まっており、その間をたまに馬車や牛車が走ります。信じられますか?文明の行き届いていないへんぴな田舎町ならまだしも、世界1位の人口を誇るインドの首都で、そのアスファルトの上を、ひずめの音を気持ちよくカタカタ鳴らしながら走るのです。

 

インドは日本と同じで車は左側を走りますが、昨日乗せてもらった(金を騙された)トゥクトゥクは、右車線を逆走しました。どうせすぐ右折するのだから、右車線を走ってショートカットしようという魂胆です。また、日本でいう国道くらいの大きさの道路では、時速60キロくらいで車が次々と通りますが、これを渡るには、車が途切れる隙を見つけて、少しずつ、少しずつ、歩いていきます。日本人の感覚では、「こんなところ絶対に渡れないだろう」という場所も、インド人は平気で渡っていきます。慣れるまでは、彼らにくっついて行くのがいいでしょう。

 

ベトナムの空港で食べた、大してうまくもないフォーは、12ドル(1800円)しましたが、今日の昼に食べたカレーとナンは、88ルピー(150円)でした。ナンは6枚もついてきたので、腹を満たすには十分な量ですし、味もかなり美味かったです。ずっと楽しみにしていたチャイはわずか10ルピー(17円)です。チャイには生姜が入っているので、毎朝、冷たい空気のなかで飲むと身体が温まります。

 

木陰で休んでいると、鳩の大群が頭の上を飛んでいきます。露天商から鳩の餌を買った少年が、豆をわしづかみにして鳩に投げつけたのでした。仕事の合間に通りがかりのサラリーマンや、美しい民族衣装をまとった女性も、商人から豆を買うと、日常のように餌をやります。

犬がいて、サルがいて、牛がいて、馬がいて、羊がいて、リスがいて、鳩がいて、カラスがいます。中でも狂犬病は、怖れるべきものだと出国前は心得ていましたが、目の前でぐったりと寝ている野良犬に、おじさんがフルーツを与えようとしています。おじさんは傷んだフルーツを、犬の口につっこんでやりますが、犬はうっとうしかったのか、近くに落ちていた棒を咥えて、どこかに去っていきました。おじさんは、恩知らずに犬に、罵声を浴びせています。

 

一部始終を見ていた私におじさんが話しかけてきました。おじさんは、「俺たちは友達だ」と言い、僕からペンとノートを奪うと、自分の名前と、時刻を秒単位で書き込みました。おじさんは、自分の手帳を差し出すと、僕に名前と電話番号と住所を書けといいます。さすがに、教える義理もないので、JAPAN TOKYO SINJUKU 777と、おじさんが知っていて喜んでくれそうな地名を書きました。去ろうとする僕に、おじさんは「1ルピーくれ」と金を要求しますが、「なぜだ」とつき跳ねると、おじさんは笑って大人しく諦めました。しかし、昨日リキシャに2000ルピーをだまし取られたことを思うと、おじさんの1ルピーの要求は、可愛らしいものでした。

 

片側3車線の中央分岐帯のところで、サリーを身に纏った6人の女が立っています。信号が赤になると、女たちは停まった車に近づき、物乞いをはじめました。パン、パンと優雅に手を2度叩き、車から車に渡って、次々と金を巻き上げていきます。信号が青になると、車は前に動きはじめますが、話が盛り上がっている道路の真ん中では、いまだに話し込んでいます。後ろの車はクラクションを鳴らしますが、それでも話し込んでいる彼女たちをみると、別に悪気もないようです。女の手から巻き上げた金が滑り落ち、風に乗って道路に飛んでいきました。幸い、車は来ていなかったので、女は金を回収します。女たちは道路を荒らしまくっていましたが、反対側の分岐帯で警官が交通の公務にあたっているのをみると、どうやら黙認されているようでした。

 

女たちを観察していた僕の後ろでは、路上生活者とみえる男の一人が、怒り狂っています。木の棒でレンガを力いっぱい叩き、落ちていたペットボトルを思い切り打つと、物凄い勢いで飛んでいき、6メートル先に停めてあった車にボンとぶつかりました。置いてあった皿を打ち払うと、中に入っていた豆のようなものが飛び散り、僕の前に坐っていたおじさんの頭に降りかかりました。

座って世界を眺めているだけで、何かが起こります。人間は困窮と退屈を繰り返すと、ショーペンハウアーは言いますが、この国にいれば退屈することはないでしょう。

 

2024.3.3

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です