なぜ創造主(デミウルゴス)は現象界をつくったのか[541/1000]

地球が太陽を中軸に自転した。つまり朝がきた。そして、昨年のクリスマス、諏訪湖教会のミサに参加してから、もうすぐ地球はぐるっと太陽を一周することになる。

 

最近、私はひとつの言葉を学んだ。

「デミウルゴス」

プラトン哲学の創造主の意だ。一昨日、小屋に迷い込んできた小鳥の無垢な目を見て、小鳥はデミウルゴスの傑作にちがいないと思った。そして、言わずもがな、最高傑作の第一候補は人間だろう。神を志向し、神を探求する人間は、同じ動物、同じ哺乳類に属しながら、肉体の生きようとする意志に反して、神のために死ぬことができるのだから。

 

デミウルゴスは、時間と空間の原理に動く、現象界をつくった。われわれは時間と空間を通してのみ、生老病死のあらゆる現象を知覚する。非現象からやってきて、現象界で人生を過ごし、非現象へと帰ってゆく。死の不滅性が、本来のわれわれであり、生の現存在とは、ひとつの夢である。

死んだら本来いたところへ立ち返っていく。この数日、私の頭を支配しているのは、「なぜ神(デミウルゴス)は現象界をつくったか」という問いである。高校生のとき生物学の先生にこの哲学的な質問を投げかけたことがあった。先生からは、神が自身を自覚するためだとか、寂しいからだとか、そういう説があることを教えてもらった。

 

この問いは、人間を生きる上での意義に深く根付いている。この現象界を、神の遊戯だと捉えるのなら、道化を演じて神を楽しませてもやれそうだし、神が芸術家なら、世界の不条理に対する人間の苦悩が美となる理由も、分かる気がする。

そんなものに理由はないと考えるのは、科学的な態度のように思われるが、実は虚無主義の仮面をかぶっただけである。なぜなら、地上の多種多様な有機体と無機物、それこそ、一昨日の小鳥の無垢を思っても、なぜこの形、この姿で、現象界につくられたのか説明がつかないからだ。ここには、何者か、デミウルゴスの意志が働いていると考えるほうが自然だからだ。

この問いにこたえることは、この現象界、しいては人間を生きる上での指針になるにちがいない。

 

2023.12.13

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です