命が縦にも横にも繋がる瞬間は仕合せであった。[196/1000]

小学生くらいの頃は正月が一年でいちばん大きな楽しみで、正月が過ぎれば次の正月はまた一年後か、と思うくらい正月を楽しみに生きていた。それほど正月が好きだった理由を今言葉にしてみると、正月が垂直性のある時間だからだった。祖父母と会い、親戚が集い、ご馳走を食べ、従妹とカードゲームをし、共に新年を賑やかに祝う時間は幸せでありながら、仕合せでもあったのだ。

 

祖父の他界を最後に、親戚の集まりはなくなった。世代交代である。祖父が他界しても親戚で集まればいいとも思うこともあったが、それは子供の発想である。正月に集まっていたのは、祖父のためだったのだ。祖父に仕えるように、下の世代が存在し、それに仕えるようにさらに下の世代が存在している。だから祖父が他界すれば、親戚で集う義理は薄れてしまう。

 

祖父は先祖を大事にする古い人間で、家に行くと和室には先祖の写真が飾られていた。子供ながら荘厳な気持ちで眺めていたのをおぼえている。そんな祖父に仕えるのだから、親戚で集えば、垂直性はさらに高く伸びていくのは必然であった。年末の紅白や、年始の特番、親戚の集いは横の繋がりを生み、初詣や墓参り、三世代交流は縦と繋がりを生んだ。正月の祝いは日本人の結束を強める伝統ある文化なのだと思う。大きな家族性の中に自分の居場所を感じられる大きな安心は幸せであり仕合せである。

 

祖父は生を終えた。両親も歳を重ねている。世代の家族性の中に自分を捉えれば、世代を繋げていない不義理さに心苦しくもある。自由の名のもとに一人身を貫くことも認められる世であるが、義理に反する形であれば自然の法に反することにならないか。自由恋愛に生きる私はお見合いをして結婚をする感覚が理解できなかったが、それは自己の小さな感情よりも親や先代への義理を何倍も重んじていたからだろう。

 

正月の祝いは垂直性あってこそのものだと感じている。年末から正月にかけて、贅沢なものが食卓には並ぶが、仕える対象あってこその贅沢であるように思う。贅沢な食事も、水平的なものになるほど、自分を肥やすための食事となり、食の文化性は失われる。親の為、祖父の為、さらにその先代を生きた先祖に仕え、共に一年の節目を祝うための贅沢であったように思う。だから親戚が集まれば、爺と婆を立て、親はご馳走を準備し、子はその手伝いをすることは当たり前だったのだと思う。文句を言いながらよく手伝いをしたが、正しいことをしている感覚はあった。

 

世界が水平的になるほどに伝統も文化も失われる。伝統や文化が失われるほど世界は水平になる。一人身の寂しさは、垂直性の繋がりを自身で断ち切ってしまうことの寂しさだ。ミサで司祭が言っていた、結婚できない悲しみは、妻を持てない悲しみではなく、子を持てない悲しみだという言葉の意味を身に染みて感じている。

義理のある人間として生きたい。そんなことを感じる正月であった。

 

精神修養 #107 (1h/221h)

眠たくて意識が飛ぶ。正月の祝いで意識は鈍くなる。これはまずいと、胡坐から正座に姿勢を変えて瞑想するもやはり眠ってしまう。

厳しく自身を叱責したいところであったが、早朝の山のぼりと、日中の塀づくりに肉体は疲れ果てているのだろう。僧ではない以上、いい瞑想ができるか否かは問題の肝ではなく、死に向かって行動できているかが重要である。それを思えば眠ってしまうこともそれほど大きな問題ではなくなる。(それでも瞑想をする以上は、いい瞑想になるよう努める必要はあるが)

 

自分を死なせようとすれば、死なせようとする自分が生き、その自分を死なせようとすれば、別の自分が生きる難しさを感じている。面倒くさいことにはいつも、やらなくていい理由がつく。生の衝動にしがみつくほど、生きる方に理由がくっついてくる。問答無用で死ぬ方を選んでいこう。いつも作用と反作用の中にいて、死ねば生き、生きれば死ぬ。時代は生に傾いているから、意識の上では問答無用で死んでいけばいいんじゃないかな。

【0円で生きていける拠点づくり】

森の中に瞑想小屋を建て、家を開放するのが直近にやりたいことです。

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