「ではどうして今、メッカに行かないのですか?」と少年がたずねた。 「メッカのことを思うことが、わしを生きながらえさせてくれるからさ、そのおかげでわしは、まったく同じ毎日をくり返していられるのだよ。たなに並ぶもの言わぬクリスタル、そして毎日あの同じひどいカフェでの昼食と夕食。もしわしの夢が実現してしまったら、これから生きてゆく理由が、なくなってしまうのではないかとこわいんだよ。おまえさんも羊とピラミッドのことを夢見ているね。でもおまえはわしとは違うんだ。なぜなら、おまえさんは夢を実現しようと思っているからね。
パウロ・コエーリョ「アルケミスト」
じいさん。じいさんの気持ちはようく分かる。夢を叶えちまったら、虚無になることが怖いんじゃないのかい。宇宙の神秘を地上に堕とすことが怖いんじゃないのかい。分かるよ、じいさん。俺も今まったく同じ状況なんだ。でもよ、じいさん。宇宙に夢を見る人間は、その神秘を守っているようで、魂は地上に縛り付けられたままなんだぜ。夢に生きる人間は、宇宙の神秘を地上に堕とすかわりに、己自身が宇宙的実在の一部となって、その神秘性を纏って生きていくんじゃないのかい。そしてその行動の軌跡が神秘性を帯びながら、美しく宇宙に記録されていくんじゃないのかい。
目の前に置いてあるパンを食べれば、パンはなくなってしまうだろう。でもよ、じいさん。パンがなくなるのが嫌だからといって、ずっとパンを眺めているわけにはいかないだろう。腹はぐーぐー鳴っているんだ。それでもずっとパンを眺めて、ああ、美味しそうだなぁと思っていることがほんとうに幸せなのかい。
もういっそ、思い切ってパンを手に取って、食っちまったらどうなんだい。保証はないよ。想像していたよりもずっと不味くてガッカリすることだってあるだろうし、空っぽになったお皿を見て、美味しそうだなぁ、とよだれを垂らしたあのときの方がずっと幸せだったなんて後悔するかもしれないよ。でもよ、じいさん。もしかしたらこのパンが、キリストの御身である可能性だってあるんだぜ。一生涯、キリストを身の内に宿して生きられるのだとしたら、それこそ本当の仕合せというものじゃないのかい。夢という宇宙神秘は見えなくなる代わりに、個人の身に宿って生き続けるんじゃないのかい。
ああ、じいさん。俺はじいさんに気持ちがめちゃくちゃ分かるんだ。じいさんは夢を追い求める中で、その不幸の中に幸せを見つけちまったんだ。でもよ、じいさん。そんなのあまりにも悲しいじゃないか。パンを食べられなかったじいさんの身体は、こんなにも痩せ細っちまって。もっと早くそばにいたら、無理やりにでもじいさんにパンを食べさせたことだろうよ。空っぽのお皿に悲しむなら、一緒に悲しんでやるだろうよ。俺はじいさんみたいな人間がとても愛しいんだ。
じいさん。このまま死んでも、誰もじいさんを責めないだろうよ。じいさんのメッカ巡礼の夢は、魂となってほかの誰かに受け継がれるだろう。でもよ、じいさん。やっぱり悲しいな。じいさんは幸せかもしれないけど、不幸でもあるんだよ。悲しいな。悲しいよ。
夢は永遠の憧れに向かって一直線に伸びていく。友と夢を語り合った人はきっとおぼえているだろう。星空を見上げたり、海を眺めたりしながら、心は遠い宇宙の憧れだけに一直線に伸びていた。このエネルギーの放射こそ、夢を夢にしてくれるものであって青春の本体なのだ。https://t.co/C9y3ClCbBC
— 内田知弥 (@tomtombread) April 16, 2023
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