クリスマスに教会のミサに参加する―去年につづき[552/1000]
隠遁生活を切り上げて、はじめに降り寄った場所は教会である。昨年のクリスマス、諏訪湖のそばにある教会のミサに参加してから、ちょうど一年が経った。今年も同じ教会のミサに参加させてもらうことにしたのだ。 はじめに一言添えておく…
隠遁生活を切り上げて、はじめに降り寄った場所は教会である。昨年のクリスマス、諏訪湖のそばにある教会のミサに参加してから、ちょうど一年が経った。今年も同じ教会のミサに参加させてもらうことにしたのだ。 はじめに一言添えておく…
撤退のときがきた。7月から森の整備をはじめ、8月9月に小屋を建て、10月11月12月は世俗から離れ、隠遁生活をした。 思えば、無邪気で素朴な日々の数々。なんと麗しい時間を過ごせただろう。ゲーテ、トーマス・マン、ニーチェ、…
「感情を大事にする」とは、今日よく使われる表現だ。しかし、その内実は、「お互いに傷つかないよう斟酌する」という意味合いであるように思う。つまり、人間関係を合理性の下、円滑にするため、換言すれば、みなが気持ちよく、平和的で…
ショーペンハウアーは、男女の結合について、男がもたらすものは「意志」であり、女がもたらすものは「知性」であるといった。ほんとうにおもしろい。男の性欲とは、宇宙より授かった生きんとする意志であり、交合において男が主となって…
情熱とは、人生を体験のためではなく、人生を人生のために生きることである。これは、トーマスマン「魔の山」の中で、主人公の恋の相手である、クラウディア・ショーシャ婦人の発した考えだ。 この「情熱」というものと、…
2023年も終わりが近づいてきた。この場を借りて、一年の反省が許されるのなら、私は第一の英断を「スマホを手放したこと」、第二の英断を「パソコンを手放して完全にネットから離れて生活したこと」だといえる。決して容易なことでは…
森にこもる隠遁生活は、哲学をする土壌に適している。 過去にも綴ってきたが、小屋に舞い込んできた小鳥を見て、現象界の創造主であるデミウルゴスの慈愛や芸術性を思い、枯れ落ちる葉や、倒木する木々の森を見ては、時間…
無邪気な欲望を愛すこと。それが欲望を卑しさから解放し、欲望を抱える人間を愛する鍵と考える。 無邪気な欲望とはなんだ。これは、素朴な欲望といえそうだ。素朴なものとはなんだ。これは、自然本来の無垢なものといえそうだ。創造主、…
なんということだ。「ありがとう」と言葉にすれば、羞恥熱で焦げ死んでしまいそうだ。おおげさだろうに思われるだろう。だが俺はこの言葉を生涯禁句にしたいとさえ思うほど、「ありがとう」と言ってしまったことの羞恥熱に、悶え死にそう…
「追憶の魂」 解放を掲げた戦いは 既に灰塵の上にあり 虚空を捕らえる咆哮を 大砂漠が嘲笑う 黄金が眠る海でさえ 海神は沈黙し 夜山に沈む空身の果てに 涙堕ちれば 堕ちる人生 悪意の月光…