0円空き家!?屋根から木が生えて動物が住む噂のある空き家を見に行った話[5/1000]

宮川からの夕陽

長野県茅野市の宮川の隣で朝を迎えた。昨日、チラッと、ブログのアクセス数を見て愕然とした。全盛期の半分どころか、さらにその半分になっていて、こうして最近毎日書いている記事も、ほとんど読まれていない。なんてこった~~!まあしょうがない。3年近くこのブログを放置してきたのだ。「とむさん、そろそろブログ更新したかな~?」と楽しみに訪れた読者の楽しみを3年近くも裏切ってきたのだ。その積み重ねで、このもらとりずむの存在は、忘れられていったのだ。悔しいが、今の形は、過去の報いだ。読まれないことはとても悲しい。悲しいが報いは受けよう。

俺は評価されるためではなく、書くことが好きだから書く!読まれているか、いないか以前に、今毎日書いていることがとても楽しいのだ!それに気づかせてくれた、坂口恭平さんの言葉、大好きだから、皆に何度でも共有するよ!そして、今これを読んでいる数少ない私の読者たち、ほんっとにありがとよぉ!!!

「好きなことを続ければ幸せだし、嫌いなことを続ければ不幸だよね。でも多くの人は好きなことよりも嫌いなことを続けるよね。」

 

さて、私は相変わらず山林を探している。これまでは、山林を扱うサイトを活用していたのだけれど、「いやちょっと待てよ、実はネットに疎い高齢者の地主さんは、土地を手放したいとき、ネットは活用しないんじゃないか?役場に相談しに行くんじゃないか?」と思い、富士見の町役場に向かうことにした。町役場の受付で、山林が欲しいことを説明し、山林を手放したい地主さんの情報はないかと聞くと、空き家の相談は受け付けているが、山林だけの相談は基本的に取り扱わないということを教えてくれた。

しかし、空き家を手放したい方の中には、山林を所有している方もいるという。中には、空き家と一緒に山林を手放したい人もいるという。少し可能性を感じた。空き家を糸口に、地主と接触し、山林を譲ってもらえないか交渉できるのではないかと思った。その方が私は面白いと思った。ネットで買うとなれば、売買という意識が強くなり、山林を無機質な情報として扱うことになる。しかし、地主さんと直接交渉できるのであれば、そこには感情が生まれる。体温が生まれる。そうして獲得した山林のほうが、思い入れも深くなると思った。

早速私は、町役場から「ウツリスムステーション」という空き家情報を取り扱っている場所を紹介してもらった。富士見駅の真横に位置するこのオフィスは、小さくてこ奇麗にまとまっており、とても落ち着く場所だった。担当してくださるお姉さんに、山林を探していることに加え、自給自足したいことも一から伝えた。案の定、山林の情報は扱っていないと言われたが、その代わりに山林を抱える地主さんと深い繋がりを持つ人物を個人的に紹介してもらった。面白い。どんどん繋がっていく。私は彼に連絡することにした。

 

その前に、ここに来たついでに、空き家もいくつか見せてもらうことにした。「0円の空き家はありますか?」と聞くと、彼女は、ぺらぺらと冊子をめくり、「ちょっとこれはぁ~….」と紹介をためらうような顔をした。チラッと見えた冊子のページの端には、「タダでいい」と雑に大きくメモ書きされている。それを見た私は思わず笑ってしまった笑 きっと所有者とのやり取りの際、言うことをそのままメモに残したのだろう。所有者は、とにかくこの空き家を手放したいらしい。私は何だか面白そうな気がした。すかさず「それで構いません!」とお願いした。

彼女曰く、この空き家は長年放置され、屋根から木が生えているらしい。そして、動物が住んでいるという噂もあるという。空き家は抱えるだけで維持費がかかる。私は自給自足を目指しているので、空き家購入して、リノベーションすることは考えていない。しかしこの空き家は山林の中にありそうだ。状態によっては選択の余地があると思った。

翌日、屋根から木が生え、動物が住んでいるかもしれないという空き家に向かった。google mapで検索しても出てこなかったので、座標を教えてもらった。座標のさす場所は、予想したとおり森の中だった。しかし草が生い茂っていて、そこまで辿り着くことすら困難だった。私は一度車に戻り、トレッキング用の靴に履き替えた。再度気合を入れ直し、草をかき分けて進んでいった。進んでいく中で、これ座標を間違えているんじゃないか?と不安になる。座標がさす場所には、家がある形跡がまったくないのだ。しかし同時に、この先に空き家があるかもしれないことを思うと、無性にワクワクした。私は草をかき分けて進んでいった。

やっとの思いで空き家を見つけた!空き家は、少し坂を下ったところにあった。屋根から木は生えていなかったが、木が屋根に直撃して、まるで生えているように見えた。外観はボロボロだった。動物が住んでそうという噂も納得できた。お世辞にも、良い状態とは言えなかった。しかし、私はとても感動していた。30mほど先に家が1つあるが、反対側には大きな森が広がっている。ここの森の所有者は別にいるようだが、誰も使っていないのだから、ちょっとくらい入っても問題がない。ここに住んでしまえば、この森は実質使いたい放題だ。

これがなんと0円だ。自分で家に手を加える材料費がかかるとしても、元が0円なのだから、金額は相当抑えられる。しかもここは標高は1000m。夏でも涼しく別荘地になるくらい景色も最高だ。近くには温泉もある。ここの周辺の様子も悪くない。

 

ただ一方で、家を建てることへの疑問がますます深まるのを感じていた。こうして家に人が住まなくなれば、家はゴミと化す。自然に還ることがなく、ただ景観を壊す異質な人工物として残り続ける。山へのゴミの不法投棄が問題になるが、こうして残された家も、誰も住まなくなれば、自然の中に捨てられたゴミと同じだ。それもテレビや洗濯機より、何倍も、何十倍も大きなゴミ。

こんな空き家に手を加えるのも面白いだろうと思う一方で、もっとゴミにならない「家」に住みたいと思った。私はいつかは死ぬ。森の中に家を築いたとしても、死んだら家は異物として森に残り続ける。それは私の望む形ではない。

簡単に建てられる家。簡単に修理出来る家。簡単に動かせる家。簡単に壊せる家。屋根のある場所は、寝る場所くらいで良い。生活の大部分は、自然の中、自然が家みたいな感覚でありたい。しかしそれは人が本来ある自然な形だと思う。風呂に屋根も壁もいらない。私たちは露天風呂を贅沢だと思う。なんなら雨が降ろうと雪が降ろうと、露天風呂には入る。雨風かしのげる場所は、最低限で良い。家がゴミにならないこと。自然とともに生きること。その方が大切だ。空き家を見てそんなことを思った。

 

こうして足を動かし、山や空き家を見ると、面白い発見がある。ちょっと足を動かしてみただけで、こんなお宝になりそうな物件が眠っている。それも0円でだ。夢がある。担当者にそんな感想を伝えると、「内田さん以外に、この物件欲しがる人はまずいないと思いますから、また欲しくなったら連絡ください笑」と言われた。もっと足を動かしてみようと思った。

日本はまだまだお宝に溢れてる。知らないだけ。ネットに乗っていないだけ。足を動かす開拓精神があれば、自分が理想とする山林に出会える。そんなことを確信した。足を動かして得た体験だけが道を広げていく。

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