孤立と孤独の境目は、そこに天が存在しうるかである。同じように、旅行と旅との境目も、そこに天が存在しうるかだ。天のもとでは、命をさらけだすことが可能となる。旅にはいつも冒険が付きまとい、まるで命で風をきるような猛々しさがある。だから、旅には必ず風が吹くのだ。
急きょ、青森から長野までひとりの女性が月光の森にやってくることになった。一年前に、青森でお会いしたことがある。彼女は清く誠実で、一見控え目であるように見えるが、その内には、天に命を差し出すほどの純粋さをもった人間である、というのが私の抱いた印象だった。
そんな彼女から連絡を受け取ったのが今日で、森に来るのが明日である。身一つで弾丸のように旅を決めた彼女からは生命の形を感じ、まるで命がそのまま風を切ってやってくるようで、油断をしていた私も気が引き締まるのである。
命が風をきってやってくる。私もそれに応え、命を差し出す覚悟でいる。月光の森に家が建って以来、はじめての来客となる。森の名のとおり、月光の恋のエネルギーと遠い憧れの力の下で、いい時間になればと願う。
【書物の海 #8】失楽園(下), ミルトン 作, 平井正穂 訳 (岩波文庫) (途中)
イーヴはそう言って、この呪われた時に無分別にも手を差しのべて果物を取り、引きちぎり、口にした。大地は傷の痛みを覚え、「自然」もその万象を通じて呻き声を洩らし、悲歎の徴を示した、すべては失われた、と。
失楽園の下巻は、アダムとイヴに焦点があたる。旧約聖書の「創世記」にある天地創造の話からはじまり、イヴがサタンに誘惑され、知識の果実を食べてしまう場面へとうつる。イヴは、サタンに誘惑されたのと同じやり方で、愛されなくなることを怖れ、アダムにも知識の果実を食べさせる。ふたりは開眼するものの、羞恥を覚え、罪と死を背負うことになる。
今日のわれわれが堕落するのも、「禁断」とされたものを、その欲望によって犯すことを発端とする。イヴがサタンに誘惑され、その果実をついに口にしたとき、今日われわれが堕落することも運命づけられたのだ。イヴが堕落する瞬間には、悲鳴をあげざるを得ないほど、痛々しいものがある。それも当然、今日の人間が背負うすべての苦悩は、この瞬間に生ずることになるからである。
まだ途中であるが、人間の根源をえぐる、凄惨なものに触れている感触だけがある。上巻のときにも書いたが、失楽園は最低でも百回は読み込みたいと改めて思わざるを得ないほど、深い混沌が宿っている。
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