滅私奉公の愛/本当に好きな人・事は言葉にしない忍恋[119/1000]

私は自分のことをできの悪い人間、包み隠さずにいえば、愛のない人間だと思うことがよくある。人の為に労を買える人間を見ると、なんと器の大きな人間なのだと感服しながら、己の未熟さに嫌気がさすのであった。

 

私がかつて教員をしていた頃は、「子供のため」「日本のため」と大義名分を掲げていた。実際、この気持ちは嘘ではなく、私自身、情熱的な教員であったことを自分でも認めている。しかし思いの丈を突き詰めていけば、いつも根底には「私」という大きな存在が横たわっていた。私はそんな自分の不純さに、うっすらと気づいていながら、それを誰かに見破られないかと心の底ではいつも怯えてもいた。当時の私は、今よりもずっと見栄っ張りで、「私」のために教員をするなんて、死んでも認めたくなかったのだった。

姿形をみれば、他者貢献を志す人間の面構えをしながら、実際には私のための奉公であった。その証拠に私は心を病み2か月で教員を退いている。私を守ることのほうが、子供や学校、社会に尽くすことよりずっと大事であったのだ。

 

これ以来、何かにつけて人に尽くすという自身の行為の嘘くささが目に見えるようになった。行為の純粋性を重んじる私は、自分が嘘くさくなることに耐えることができないでいる。自分が不純になるくらいなら、一人になろうが正直でいられることのほうがずっと大事ではないか思うようになった。結果的に、私は孤独になった。孤独になりながら、どうしたら純粋さを保ったまま、人に尽くせる人間になれるのかをずっと模索している。

 

滅私奉公という言葉がある。私を滅して、公に奉げると書く。葉隠武士は死に身となることで「私」を滅し、主に尽くした。(確か葉隠でエロースやアガペーにも言及されていた。まだ落とし込めていないのでここでは割愛)

滅私奉公で思い浮かんだのは、母という存在だった。母親は子供を守るためなら、たぶん命を懸ける。夜中でも子供が泣けばオムツを取り換え、火事になれば我が身よりも子供を助けることを優先する。

 

愛することの探求は、まだつづく。

 

精神修養 #28 (2h/66h)

自分を死人(しびと)として主君に尽くす武士は、滅私奉公であった。瞑想をしながら、「私」がここにあることを感じている。「私」とは何かという問いにぶつかるが、まだ答えは見つからない。

私へのこだわりが強ければ、座禅中、足が痛くなれば反応してしまうように、自分が痛みを被ることに怯えるようになる。反対に、身体が心地よさを味わえば、その感覚の虜(とりこ)にもなる。

私を滅すること、言い換えれば、私に執着しないことが、純粋性を保ちつつ人に尽くせる1つの道であるように思う。

 

[夕の瞑想]

滅私奉公とは、「私」を滅して、奉公するということ。

瞑想をしながら「私とは何か」という問いにぶち当たる。使い古された問いであるにもかかわらず、私はこの問いに苦手意識を抱えている。偽善だと揶揄される類の奉公は、「私」のための奉公だからであろう。私が存在すれば、奉公においての純粋性はどうしても失われる。

教員時代、私は「子供のために」という大義名分を掲げていたが、思いの奥をつきつめていけば、そこにはいつも私がいた。この問いに対して、私はまだ答えを持っていない。

 

「恋の至極は忍恋と見立て候。逢ひてからは恋のたけが低し、一生忍んで思ひ死する事こそ恋の本意なれ。(略)(聞書第二)

(中略)

いまの恋愛はピグミーの恋になってしまった。恋はみな背が低くなり、忍ぶことが少なければ少ないほど恋愛はイメージの広がりを失い、生涯を乗り越える勇気を失い、社会の道徳を変革する革命的情熱を失い、その内包する象徴的意味を失い、また同時に獲得の喜びを失い、獲得できぬことの悲しみを失い、人間の感情の広い振幅を失い、対象の美化を失い、対象をも無限に低めてしまった。恋は相対的なものであるから、相手の背丈が低まれば、こちらの背丈も低まる。

葉隠入門, 三島由紀夫(新潮文庫)

 

恋は人間に対して起こる感情だけではないと思っている。自分が好きだと感じること全般にもいえる。

私は何かを好きになる気持ちの純粋さに恍惚し、これまでに好きだと感じてきたことは、積極的に好きだと言葉にしてきた。恋は言葉にした後も膨れ上がっていくものだと思っていた。しかしそうではなかった。好きだと言葉にしたものは、私の中で「そこまでの存在」になった。嫌いになったということはないが、燃え盛っていた激情がそれ以上激しくなることはなかった。

だから本当に好きなものは、言葉にしないと決めた。言葉にしてしまえば、対象はそれまでの存在になる。忍ぶことでつくられていく自分だけの世界がある。

恋をした人に好きだと伝えないことは、現代の恋愛観からしてみれば不自由に聞こえる。私には、ここの答えはまだない。しかし、中学生や高校生の好きな人に好きだと伝えたくても伝えられない初々しい恋愛を覗いてみると、大人になるにつれて忍恋の美しさというものは失われていることはよく分かる。

 

武士道の探求はつづく。

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