鴨長明さんへの手紙[367/1000]

鴨長明さん

あなたの魂は800年後の人間を震わせています。あなたの生きていた頃よりも、ずっと文明は発展しました。農薬によって食料供給は安定し、人々は飢える心配がありません。毎日のように米も肉も、たらふく食べられます。都会の建築も、コンクリートが増えたので、火事が燃え広がる心配もほとんどありません。今では牛車や馬車のかわりに、自動車という車輪のついた鉄の乗り物を走らせています。これは、地下から掘り出した化石燃料を燃やすと動きまして、ちょいとペダルを踏むだけで、馬よりも早く走れてしまいます。また、エレクトロンという魔法のような力を使うことができまして、夜になっても書を読むにも困らない灯りを手に入れました。繁華街は眩しくて、眠ることを知りません。

ただ、わざわざ私がこんなことを書かなくても、既に霊魂となったあなたには、すべてお見通しでしょう。この800年間の全貌を天から眺めていたのなら、今さら何も申し上げることはありません。

 

800年経った今も変わらず、地震や津波の脅威に怯え、災害の不幸にあうと、深く悲しみます。生活は便利になったというのに、俗世の悩みごとは、ちっとも変わりません。文明が豊かになれば幸せになると信じてやってきましたが、それは真実ではありませんでした。豊かになって満たされるのはほんのつかの間で、豊さは当たり前となれば、今度はこれがなければ不便を感じる始末です。さらなる幸せを求めて、理想郷を無限に追いかけては、今日も人々は名誉を欲し、お金を欲し、地位を欲し、新しい物を欲し、便利な暮らしのなかで、尽きることない生活の不安に悩まされ、物欲の炎に魂を焼かれています。

世相の表皮は変われど、人間の内面は驚くほど変わりません。悩み、憂い、苦しみ、怯え、そして幸福を願っています。しかし、同じ人間だからこそ、800年の時を経ても、こうしてあなたの魂と出会うことができたのでしょう。「方丈記」を読んで、涙がとまりません。こんなにも哀しい人間が、大昔の日本にいたことを思うと、同じ日本人であることを誇りに思います。

 

人々は儚く生きては死に、町の家々は火事で虚しく焼ける様は、川の流れに生ずる泡沫のようなものでした。そう綴ったあなたもまた、今ではその一部となり、宇宙のなかにおられます。いつの日か私もおなじように、生命の炎は尽き、泡沫のように消えていくのでしょう。この僅かな現世のうち、私はあなたの記した「方丈記」を読んでは、それを何度も思い出します。

あなたが俗世から離れ、孤独に山で生きようと決められたのは、30の頃。私もあと1年も経たないうちに同じ齢になります。山林の夜に孤独を感じることがあっても、焚火の温もりにふれる度に私は永遠に誘われるでしょう。方丈記は、私の座右書となりました。声に出して読んでいますと、大変に心が静まります。慌ただしい心からは、静謐な詩は生れません。私は一生の友と出会いました。これから森で、何度も読み返し、あなたの魂にぶつかっていくでしょう。私はあなたと出会えたことに、大きなしあわせを感じます。

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