夢の一つを生きているにすぎない③[518/1000]

魂に性別はない。ゆえに、私は男もであり、女でもあった。

魂に年齢はない。ゆえに私は少年であり、老人であった。

神に反逆した天使は、地獄に堕とされる。この暗澹を満たす宇宙エネルギーには、天使がおり悪魔がいる。ゆえに、私は天使のように善良であり、悪魔のように残忍である。

 

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霊体にもし個別性があるのなら、調子の善し悪しや、運気の善し悪しは説明がつくかもしれない。頭がさえる日には善良な霊が憑りつき、地獄のような苦しい日には悪霊が憑りつく。

 

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われわれは脳の記憶を頼りに、存在の一貫性を確認しているのだとしたら、記憶喪失だけが、肉体を持ちながら、純粋な霊体に最も近い体験ができる状態と言えるかもしれない。記憶喪失は、霊体を記憶から解放し、純粋な「現在」を体験させてくれる。

 

「私」というものの存在など、その程度のあやふやなもので、記憶が無くなってしまえば、存在すら危うくなる。「私」が大事だと信じ、毎日欠かさずに行っている習慣も、実は「現在」が虚無にたえるために記憶を再現しているにすぎない。そうして「現在」は「過去」の延長となり、われわれは存在の一貫性を確認する。実態のない霊体にとっては、肉体を頼りにするしかないのだから。

 

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霊性を高めるとは、肉体に対し、霊体が自由を要求することと言えるかもしれない。「現在」という時間を「過去」の再現としてではなく、確実な「現在」として存在させるためには、いつもあるのは「現在」だけで、同時に「現在」が「過去」であり「未来」であるという認識を持たなくてはならない。明日?そんなものはない。無数の断片のなかから「現在」だけが拾われて、記憶によって円環が直線と理解されるだけだ。

 

いったん、時間に関する哲学はこれくらいにしよう。「私」という存在への執着から離れ、「現在」こそ「過去」と「未来」と重なる断片であることを認識できたら、ひとまず十分だ。

 

2023.11.20

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