快楽主義について②[366/1000]

日本の中世にも、このエピクロスのように、わずらわしい世の中との関係を断ち切り、山にこもったり、放浪の旅に出たり、出家したりして、自分の理想を守ろうとした人たちがありました。西行法師だとか、『方丈記』を書いた鴨長明だとか、『徒然草』を書いた兼好法師だとか、『奥の細道』を書いた松尾芭蕉だとか、そのほかおおぜいの坊さんなどです。彼らはすべて、退屈な社会生活や腐敗した政治がいやになり、世の中に背を向け、世の中から身をかくし、自然のふところに帰った人たち、つまり隠者です。

澁澤龍彦「快楽主義の哲学」

青年が山にこもることはいまに始まったことではなく、東洋思想の根づいた日本では、煩わしい社会から離れて自然と一体となるように暮らすことが理想だった。今日では都会から田舎に移住して、自給自足の暮らしをはじめる人も少なくないが、彼らの理想も純粋な形をたどっていけば、隠者の生活を源流とする。

東洋的な快楽主義者は、隠者の理想をそれぞれの「現実原則」にあわせて、実現可能な形として実行する。たとえば、妻子をもった男は山の原始生活に心の底では憧れていても、妻を気遣ったり、子を学校に行かせてやることを考えると、”田舎暮らし”という妥協点におちつく。田舎暮らしは、隠者の理想を薄められるだけ薄め、実現可能かつ現実的なラインにおとしこんだものである。

これは私自身にも当てはまる。往来困難であり、電波も届かないような秘境を開拓することにロマンを感じていたが、友を迎えることや、1000日投稿をつづけることを思うと、人里近くの森に落ち着いた。恥ずかしいがこれは弱さでもある。実際そういう人間は順応主義者といわれ笑われたらしい。

隠者の生活を実現するためには、家や家族や、財産や、名誉や、その他いっさいの物質的欲望、世俗的欲望を捨てなければなりません。そういうものに未練のある人は、ビート族のあいだでは、「順応主義者」として軽蔑されるのです。

澁澤龍彦「快楽主義の哲学」

 

昨日も書いたが、主義とはどのように走るかのようなもので、第二義にすぎないとは思う。でもやっぱり、胸に秘められたロマンは、遅かれ早かれいつの日か爆発すると思う。私はまず目の前の森にささやかな隠者の生活を築き上げたい。そのあとのことはそれから考えよう。

 

キリストの言葉を思い出している。マタイの福音書10章。

「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」

隠者も似ている。何もかも捨てるには強さがいる。未練をもって中途半端にしか捨てられないのは惨めだ。思い切ってすべてを捨ててしまえば、新しい世界はひらけていくのだろうか。隠者の大先輩たちが書いた、「方丈記」「徒然草」「奥の細道」を読んでみたい。彼らの魂を掴みたい。

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