BTM(Break the moral)作戦[430/1000]

道徳に反旗を翻そう。悪よ目ざめるのだ。こんなことは大っぴらに言えやしない。それに、道徳を破ることの恥の意識を失えば、人間から美は失われる。しかし、道徳よ、教条的となったお前は、今日、強大な宗教となりすぎた。何も抗うことをしなければ、体は隅々まで道徳に犯され、惨めでめめっちい善人になってしまうではないか。戦わずして善人としての平和を獲得しても、そこに真の平和は存在しない。戦争はダメだ。それは分かる。しかし、戦わなければ平和になると思えば大間違いであり、戦わなければ一方的ににやられ、敗北あるのみである。これは、個人の観念の話をこえて、日本人として国の在り方を考えることにも通ずる話である。戦前は、学校で道徳など習うこともなく、修身によって人間を磨いていた。道徳は言葉となった途端に教条的となり、教条に魂を失ったときに善人となるのである。日本には、”いい人”が多い。これは素晴らしいことであるが、これが気高く、名誉あることかと問われれば、話は別である。

アメリカに留学していたとき、友人は日常的に”I’m proud of ~”という言い回しをした。誇りに思うという言い回しは、日本にはなじみがない。文化の違いはあるだろう。日本の武士道では、名誉という言葉のほうがしっくりくる。しかし、それを差し引いても、そもそも名誉や誇りという感覚が失われているように思う。道徳に従順となった国民は、”模範的”なのである。模範的であることは、学校の教室に大人しく座っている優等生のように優良であるが、そこに誇りや名誉といった感覚は決してうまれない。

Break the moral、名付けてBTM作戦を決行せよ。道徳に反旗を翻すなど、公には決して口にできない。しかし、私はこのまま善人として魂を失っては、死ぬにも死にきれない。ここにただ一人、静かに反撃の狼煙をあげようと思う。無抵抗であれば、道徳に食われ、生きる力を吸い取られる一方だ。それならば、いっそのこと「素晴らしい人間」など捨ててしまい、つまらない人間として、ダメな人間として生気の中を生きてみないか。

自分の中の反骨心を奮い立たせよ。復讐の炎を燃やせ。食い殺されるな。道徳を打ち破れ。

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