【生存実験】数年間の家なし生活の経過[354/1000]

自己の生存に必要な分量が分かると、生活における生存の不安はかなり減る。金があるのに「飢え死にしないか」「ホームレスにならないか」と不安に浸されることも、その漠然とした不安のために自分を労働に虐げることも減っていく。なぜならば、「老後にはこれだけの金が必要だ」と政府がいうのがただの一般論に過ぎず、自己の場合でいえば、これだけあれば死なないという確信が得られるからだ。

 

私の生存実験はまだ途中だけれど、少しばかりその経過をここに記したい。

昨日も書いたとおり、私の生存実験は、衣食住のうち「住」からはじまった。20代の半分は、家でも賃貸でもなくテントや車で生きた。これはどちらかというと、結果論としてこうなったというほうが近い。外の自然音や風が遮断されるような厚い壁の家が苦手で、安心で快適すぎる空間にいると、生命が委縮していく感覚になった(私は今でもこの感覚が苦手で、実家に帰っても必ず外で寝る)。争いが絶えない世界にいる、ミサイルが飛んでくるかもしれない、災害はあちこちで起きている、なのにどうして、柔らかいソファに沈んで、何もかも忘れるように安心できるのか。この野性が失われる感覚は、生活の悪魔だと感じた。安心しちゃいけないということではない。安心できる場所こそが家だと思う。ただ、今はこの悪魔が力をつけすぎた。生活に入り込んだ悪魔が生命を完全に飲み込んだ。安心は行き過ぎて平和ボケになった。私の家なし生活の動機は、この悪魔から生命を救済することにあった。もちろん当時は、そんなことを考えておらず、苦しみから逃れるために生命を自然に解き放ったにすぎない。

 

中古で5万円くらいで、50ccのスーパーカブを買った。50ccは普通免許があれば運転できる。この荷台に、ホームセンターで買った3000円くらいの箱を取り付けて、そこに衣類やキャンプ道具や寝袋を詰め込んだ。入りきらないテントやマットは箱の上にロープで縛りつける。普通の旅と変わらないようだけど、実際そのとおりで、最初はこの原付で旅をした。伊豆半島をぐるっと一周しながら爽やかな潮風を浴びていた。これが、暮らしに変わっていくのは、昨日も書いたとおり、八ヶ岳の麓で皿洗いの仕事をはじめたことがきっかけだ。町民の管理する森と、すぐ近くの道の駅を勝手に拠点にしながら、1年間の野外生活を行った。

皿洗いの仕事はかなり都合がよく、従業員専用のシャワーをタダで浴びることができた。朝から晩まで仕事をしたので、贅沢にも、毎朝シャワーを浴びた。抜け道を教えてもらって、客と同じ湯船にも浸かれると悪知恵を教えてもらったが、さすがにこれは気がひけたし、シャワーで十分だったので遠慮した。夜の10時半の皆が帰る頃まで働いていたので、残った弁当をタダで貰った。水はすぐ近くに、美味しい湧水があるので、ペットボトルで汲みにいった。洗濯は最初は川でやっていたが、綺麗になってるのか分からずにすぐにやめた。すぐ近くにタダで洗濯機を使えるところがあると教えてもらったが、これもグレーだったのでやらなかった。(こういう風に生きていると、周りから情報が集まってくる。田舎では貴重なwifiのパスワードまで情報を入手した。)結局、洗濯は普通にコインランドリーで行った。家賃は、実質原付のガソリン代だったが、カブは驚くほど燃費がよくリッター50km以上は軽く走れたので、これはほぼ無いも同然だった。

 

生存実験は一般化することが難しい。自分の住む地域や、仕事の有無などの状態によって、何が獲得できるかが変わる。私の場合、仕事があったからシャワーも飯も確保できた。森をリビングのように自由に使っていたけど、都会では、毎日色んなものが捨てられて、そのすべてが幸となりうる。

一般化されたものは、供給が安定するかわりに感情はないが、自分で見つけたものや自分でつくったものには保障がない分、感情がある。これは生活の楽しみではなく、生存の歓びである。生活から抜け出した生命にはじめて与えられる褒美である。

 

私は住について、まだ多くを語ることはできない。私ができたことといえば、車と原付とテント生活をとおして、家の固定観念を壊すことができたくらいだ。ふつうの家や、ふつうの賃貸でなくとも、雨風しのげる屋根と、寒さをしのげるものさえあれば、最低限「住」は成り立つことは知った。

だが、まだ「自分の家」を形として築き上げていないという点で未完である。その点、この7月から森に家を建てるのは、一つの集大成となる。森を買うのに金はかかったが、それは構わない。なぜなら、ここからは「生存」から「生活」への橋渡しとなるからである。

昨日も書いた通り、生存実験によって根源を問うことは、生活のためにあると思う。生活にこそ、先人の智慧や文化が詰まっており、人間が人間として生まれた理由があると信じている。一般化された生活(生命を活かす術)から離れ、自己の生存(生命の在り方)を経由し、自分なりの生活に確信をもって到達したいと思うのだ。

生存を問うやり方は無数にあると思う。私は粗野なつくりゆえ、結果としてこういうやり方になったが、必ずしも家なし生活をしなければいけないわけでもない。一般化された生活に、違和感をおぼえるとき、生きることを問い始め、生存の実験は始まる。ここに記したのは、あくまでその一例にすぎない。

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