路地裏で遊ぶ子供の声、夕焼けを旋回する小鳥の群れ、一日の足労を癒すさわやかな風に、久々の自由を感じた。思い返せば、今回の旅は重く、敬虔な顔つきで旅をすることが多かった。信仰の厚いインド、もしくは貧困と物乞いに遭遇するインドでは、それが相応しい態度であった。
今朝いつものように、10ルピーを支払いチャイを飲んでいると、物乞いの母子がやってきた。赤ん坊を抱えた女性は、私に10ルピーをください、私たちにチャイを飲ませてください、とお願いした。私は首を横に振った。すると女性は、直接チャイ屋の店主に働きかけ、チャイを恵んでもらっていた。小さなコップに注がれた一杯を、まずは母親自身が飲み、次に赤ん坊に飲ませてやっていた。
いつの日か、老婆が私の眼の前に来て、金を乞うたこともあった。そのときも私は一銭も与えなかった。すぐに苦労の滲んだ老婆の後ろ姿を、自分の母に重ねて己を後悔した。
通りを歩いていると、道路の真ん中で赤信号を利用して、小さな姉妹が踊りを披露している。一人が小太鼓を叩き、もう一人が躍っている。大半の車は青信号とともに走り去るが、うまくいけば信号待ちの運転手から金を得ることができるようだった。
物乞いにチャイを与えてやったこともあった。ガンジス河の木のベンチでチャイを飲んで休憩していると、少年が一人やってきた。僕も一つ飲みたいと私に要求する少年にチャイを与えてやった。喜ぶだろうと思いきや、少年はチャイを受け取ると礼をいうどころか、さっさとどこかへ行ってしまった。感謝してほしかったわけではないが、どこか後味が悪かった。与えるにしても、与えないにしても、貧困と悲惨の現実が放つ重苦しさは、心に重く残り続ける。
今日は、ヤムナー川の沿いにある火葬場へ足を運んだ。こんなところばかりに足を運んでいるから、心はどんどん重たくなるのだと思いながら、こういうところに来なければ、インドの深くに入り込めない気がするのだ。白い布に包まれた遺体が燃やされる光景を静かに眺めつづけた。人間一人を燃やすのに必要な薪の量など知って、何になるのだろう。燃え盛る炎に、遺族が一人ずつ祈りを捧げながら、手で水をかけている。私はほんとうに帰りたくなった。どこに行っても人間の森が生い茂るインドを抜け出して、久々に日本の空が見たくなった。
2024.3.12
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