大切なことを忘れちゃう人間は傲慢ではなくおバカなだけ[56/1000]

昨晩の39.4度から、今朝ようやく36度台まで熱が落ち着いた。

まだ喉は痛く、軽い頭痛もする。腹がグゥ〜と鳴ってくれたら、とりあえず元気になった証としてひと安心できるが、それまではまだ油断ならない。

玄米のお粥が待ち遠しい。それから熱が下がって元気になったら、大好きなアイスクリームで祝杯をあげようと決めていた。

もう一踏ん張りだ!早く動きたい気持ちも分かるが、もう少しだけ身体をちゃんと休めよう。

 

こうして身体の調子を崩すと、「今元気かどうか」が一番だよなと思える。元気な状態が当たり前になると、元気でいることだけを手放しで喜べなくなる。

あれもほしい、これほしい、と欲をかくようになる。終いには、手に入らないものばかりを嘆いて、そんな自分を不幸だなんて思う時がある。

 

そんな自分は傲慢だなと思うけど、一方でこれは仕方のないことのようにも思える。

言葉は悪いが、人は傲慢でありながら、それ以前にバカなのだと思う。

 

こうして身に沁みて学んだはずのことも、元気になれば、また忘れてしまう。覚えておきたくても忘れてしまう。そんな大バカものなのだ。

そんなおバカ劇場を何度も繰り返しながら、螺旋状に人生を彩っていくことが、おバカな人間らしい生き方のような気もしている。

 

人は馬鹿だと言ったが、私は賢い人間を知っている。私の父だ。

私の父は普通のサラリーマンだが、日々の仕事のストレスからか、母に対して当たりつけるように、意地悪く接していた時期があった。

それに見かねた、ある日の私は、「子にとって父と母が仲良くしてくれることほど幸せなことはないよ」と父に伝えた。

この私の言葉は、父の胸に相当こたえたらしく、父は私に、「この気持ちを忘れないために母の家事を毎日手伝うことにする」と宣言し、晩飯後の茶碗洗いを毎日行うようになった。

あれから2年近くの月日が経っているが、いまだに父は文句ひとつ言わず、茶碗洗いを続けている。熱で体調を崩した時は、さすがに母が代わっていたようだが、サボることは一切ないという。

 

両親の仲もずっと良くなって、2人ともすごく幸せそうにしている。それを見る私もとても幸せな気持ちになる。

父からは、色々教わってきたが、この歳になっても、大きな知恵を与えてもらえた気がした。

 

本当に忘れたくないことがあるならば、日々の習慣として心に刻み続けるしかないのだろう。

それが、おバカな私たちなりにできる、賢い知恵なのかもしれない。

 

好きなことが毎日続く日々は幸せで、嫌いなことが毎日続く日々は不幸だ。

そんな坂口恭平さんの言葉を思い出した。毎日続けることにはとんでもない魔力がある。

 

そんなわけで、この1000日投稿の遊びも、やれるところまで記録を更新してやろうという気概になっております!

どうしようもないくらい平凡な記事ですが、こうして読んでくださってる皆さまの存在にこれ以上ないほど支えられています。

ではまた明日!see you tomorrow!

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